環境問題なんかで「善意」ってのがクローズアップされる。これにはずっと違和感があった。善意ってのはつまりコストなんじゃないか、と。ペットボトルから服が作れます。作れますが、石油から作ったより高いですよ。でも善意で買います。って何かおかしい。飛行機に乗りました。CO2の排出権を買いました。カーボンニュートラルで心が痛まないわ、って何かおかしい。
免罪符にはコストがかかる。儲けは教会に入る。これって商品だよな。ペットボトルから服を作るときに追加でかかる石油はその商品のためのコストか。そもそも排出権取引ってのはギトギトに欲丸出しにしたほうが効果があるだろう。こっちのほうが儲かる!ってのはつまりこっちのほうがCO2を削減する余地がムチャクチャある、ってことだから。
ペットボトルだって税金やガソリンを使って集めて*1、中国が高い金で買ってくれるってんならそっちのほうが正解だろ。あとはそれを煮て食おうが焼いて食おうが資源の有効活用だと思うな。
善意で服を作ったところで、免罪符として売買するだけだもんな。そもそも買わないことからはじめてもいいんだぜ。

*1:そもそも集まった時点で資源としては合格だろ。集まっていないものを集めるコストがすごいんだから。