部活動のマイクロバスって誰が運転するの?

記憶の話をします。20年前は高校生だったわけですが、その時の部活は毎週毎週顧問の運転する父母会が購入したマイクロバスで遠征に行ったりしていたわけです。その時は自分たちの部活の周りがどのように動いているか、など考えてもいませんでした。

 

20年後の現在。実は自分は高校の部活の情報は持っていない。持っていないが、遠征というものが頻繁に行われているのは、球技である以上、当然なのだろうと思っている。20年以上前から一般的だった父母会等が所有しているマイクロバス。これは現在誰が運転しているのだろうか。

 

部活の車送迎、静岡県が県立高に20万円補助 保護者の負担減らすため | 子育て世代がつながる | 東京すくすく – 東京新聞

 

今年の5月の記事。→「県教委高校教育課によると、部活の送迎で教員の運転は認めておらず、公共の交通機関の利用が原則。学校や部活によっては、保護者が自家用車で送迎したり、免許を持っている保護者がマイクロバスなどを運転したりするケースもあるという。」部活の送迎では、教員の運転は認めていない、と。では、父母会等所有のマイクロバスは誰が運転しているのだろうか?

 

2つの問題となる視点がある。保護者の責任という問題と、白バスという問題だ。それぞれ関連記事を貼る。

 

2人死亡事故、認める ワゴン車運転の男、石川 - 産経ニュース

 

痛ましい事故の記事。部活のマイクロバスを運転していた保護者の子ではない子が亡くなり、ぶつかったのは部活の送迎をしていたワゴン車だという悲劇。保護者が送迎をする、ということはこういう事故の当事者になる可能性がある、ということだ。

 

部活遠征に白バス 鳥取県警、67歳の男逮捕 - 産経ニュース

 

渡りに船、のサービスは違法だった、と。どこからが違法か、というのはなかなかわかりにくいですが、白ナンバーのマイクロバスを、所有者以外が運転し、それに対して謝礼等を払うのはグレー?黒?というようになってくる。

 

うーん、高校にまだマイクロバスって置いてある気がするし、遠征もやたらにあると思うんですが、実際のところ誰が運転しているのだろう。

 

ちなみにこれ、中学のほうで聞いてみたところ、「今の御時世、先生が運転するってことはないよ」とのこと。このあたりも含め、地域性はあると思うんですが、万が一事故があった場合の、保険では取れない自責の念あたりをどうしてくれよう、って問題があると思う。

 

ということで、今度は部活と社会教育的な活動との切り分けの話が今後でてくると思いますが、今回はこのぐらいで。

先生がお外に出てきてくれない話

所用があって、夕方4時過ぎに市内のある中学校に出向いた。中学校というのは「市立」なので、市職員である私が行くことはおかしくない場所である。30分ほど前に連絡して、職員室でちょっとした作業をすることになっていた。

職員室の前に、ユニホーム姿の中学生が数人。

そして職員室に入ると同じユニホーム姿の一人が立っており、その前に先生が椅子に座っている。

あ、完全に例のアレ。

私は作業をしないといけないので、連絡した先生のところに行き、作業について話し始める。

その時職員室には数人の先生がいます。そして、半部外者としての私。

このときにオンステージなのは部活の顧問らしき1人のみ。私はそれを聞くともなく聞く。

なんとなく、中学生の部活のメンバーがダラダラしているとかそんなような話らしい。「先生、今日はもう部活やれへんから、みなはん帰ったらどないでっか?」みたいな。


開け!天岩戸!出てきて!先生!


あと立ってる人とは立って話して!


えーっと、社会人長くやってると、「人を怒る」ことに対する怖さのほうを強く感じるんだよね。こんなに自信持って叱るなんてどこに権限があったり、信託があったりするんだい?と。そもそも市職員的には中学生でも住民だ。私たちは全体の奉仕者であるが故に、納税者と非納税者を分けたり、選挙権の有無や行為能力の有無で分けないはずですよね?

あと、なんとなーくですけど、半部外者(私)が職員室にいることで、ちょっと空気が微妙になった気がするんですよね。顔を知っている先生も少しはいて、僕を見て微妙な表情だった気もするし、生徒を良い方向に導こうとしている顧問その方も少しお上品になった気がしてしまうのは自意識過剰かしら。

途中からは作業に意識を向けていたので、顛末がどうなったか確認はしていない。(最後は皆どっかへ行ってしまっていた)

もはや中学時代のことなどほとんど記憶にないので、今の自分の感覚で言うと、「なんで先生は児童生徒に怒れるの?(本日の先生は怒っていませんでしたよ!生徒を良い方向に導こうと古くからある方法で指導しておられました。ただ、生徒はシュンとしてた気がしました。)」という感じ。学習指導要領や大学の教職課程等で、児童生徒に「怒る・叱る」ことを教えているのでしょうか。国家には国民を怒る権利があり、それを先生に委託しているのでしょうか。

私は詳しくないのでわかりません。児童生徒の尊厳をもっと尊重しても良い気はします。

田舎のおっさんが泣いている話

正月に帰省。私の場合、実家から車で10分ぐらいのところに妻の両親と同居しているので、実家に帰ると言っても生活圏がほとんど変わらず、あまり実感がない。しかも近いので結婚してから一度も実家に泊まったことがない(必要がない)。さらに、祖父母も既に他界しているので、実家に集まる親戚は父の弟夫婦とその子夫婦とその子、というほとんど他人みたいになってくるのでヨソヨソしさが年々上がっているという場面に立ち会っている。

それはそれとして。

田舎の人間は排他的で閉鎖的で古くてデリカシーがない、というステレオタイプなイメージが、ネット界隈では一つの言説ではなく、数多飛び交っている。それは一つの真実なのだ。田舎で生まれた人間のうち、「排他的で閉鎖的で古くてデリカシーがな」くない人間は、既に全員東京に飛び立ってしまったからだ。残った人間は、排他的で閉鎖的で古くてデリカシーがない人間に決まっている。

ただ、田舎はどんどん変わっている。

37歳の僕の物心ついたときのお正月は、餅つき機で餅をつき、それを親戚が取りに来る大晦日、そして曾祖母がやたらとぼた餅を作る記憶から始まる。実家の裏には杵と臼もあり、物心つく前はそれで餅をついていたのだろうし、親戚もその餅がなければ正月になった気がしなかったのだろう。祖父の兄弟家族も正月には実家に集まり、仏壇の横にいる祖父を中心とした酒と煙草の宴席があり、お節のようなものを食べた気がする。そして正月には親戚一同で近くの有名な団子を売っている山に初詣に行った。実家に泊まる親戚もかなりいたと記憶している。

20歳ぐらいの時に祖父が亡くなり、酒と煙草まみれの人間が1人減った。というか、実家で煙草を吸う人がいなくなり、多分灰皿の用意とかも疎かになっていく。いつからか、煙草を吸う人は外で吸うような感じになっていく。そして社会も分煙や室内禁煙になっていく。ちなみに、私の職場は現在敷地内禁煙。公用車も禁煙。飲み会とかも宴席では吸わないのがスタンダードになってきている(席を外して吸う)。そしてこの頃にはいとこ連中が大学に行ったりなんだかんだで親密さも薄れ、初詣には各家族で行くようになった。この頃は誰も実家には泊まらない。

30歳ぐらいで祖母が亡くなってからは、正月の集まりの根拠もなくなった。ほぼ惰性で、「◯◯家新年会」という、3時間ほどの飲み会になった。飲み会だけど、今では飲酒運転する人もいないので、酒もほとんど開かない。実を言うと、孫マウンティング大会のようになっているかもしれないがそれはまた別の話。この新年会、元教員の母が仕切るので、いかにも先生の飲み会風の、次第があるかのようなものになってしまい(レクリエーションに次ぐレクリエーション)、私は辛い(空気…)。

田舎の変化はモータリゼーションに始まる。1970年ぐらい、ということだろうか。モータリゼーションとともに各地に道路が作られ、繋がれた。私の地方でも、祖父の時代に県道ができ、駅まで車で15分ぐらいになった(それまでにも軽便鉄道はあったが)。1980年代には既に後に平成の大合併政令市となる市の中心地(実家からは車で1時間程度)に複数の百貨店があり、洒落たものも買うことができた。スーパーも普通にあり、都会でも流通するものが買えるようになっていた。正直なところ、僕らの世代で田舎生まれで困ったという記憶はあまりない。

このブログで数年前に書いていたように、このあたりではイオンモールららぽーとが相次いで開業した。最近ではコストコができたことが話題となった。スターバックスは県内に30店舗あるようだ。都会にとっては当たり前の物が、さらに当たり前にあるという状態だ。

さらに、車関係の製造業が強いので、ブルーカラー的なホワイトカラーがかなりいる。作業着を着ているけども、絶対に汚さない一群だ。実を言うと私の父もそういう系。また、日本全国津々浦々と同じように、公務員もいれば行員もいる。

少しまとめる。田舎は清潔になってきた。煙草の煙は減り、土で汚れることもなく(道はアスファルトだし農家は減るし)、服だってブランド物からユニクロまで揃い、清潔な着こなしが流行ってきた。全ての家庭が「ららぽーと(お歳暮や晩のおかずを買うところでもある)を歩ける服」を持っている。ハイソだけが百貨店に行くわけではない。加えて、言動も清潔になってきている。ご存知中学時代は中学も荒れていましたので、竹刀を持った教員や、後に逮捕されたという噂の教員もいた。しかし、今はさすがに竹刀を持った教員の話は聞かないし、生徒も荒れていない。

デリカシーの問題も大分緩和されてきた。テレビもインターネットもない世の中ではないので、誰しもがマスの情報に触れています。マスの情報は遅れ気味でも、さすがに暴力はいけません(お題目じゃなく、ほんとにダメだよ!)って言っています。田舎のおっさんも聞いています。

そして田舎のおっさんは、今度は権力もありません。うちの父は長男ですが、弟に対しては父としての権力は持ちえません。何かを継いだわけではないからです。農業を継承してもお金になりませんし、商売を継承する家もマレです。誰もが右肩上がりに昇格する時代ではないので、20年近く前にうちの父はリストラされました。仕事で昇格していくのは今後ますます狭き門となるでしょう。威張るにしても、何も伴っていないので、空元気みたいなおっさんしかいないはずなのです。

田舎のおっさんは、カスカスのハリボテです。そして37歳の私は既に田舎のおっさんになっていて、公務員なので多分ずっと田舎にいるのだろうな、と思っています。

当地では人口も現時点では減っていないし、田舎だけども住めるところです。そして日本全国、そういうところはそこそこあると思うのですね。他地域と交流し、人の移動もあり、転勤で来る人も去る人もいる。田舎は排他的で閉鎖的で古くてデリカシーがないとしてしまうと、果たして日本にどれだけの都会が残るのか、と。個人的に田舎と都会を分けるのが、コンビニ行くのに車に乗るのが田舎、歩いて行くのが都会、と思っているのですが、3大都市圏と福岡・仙台・札幌・広島ぐらいしか残らないではないか、と。

静岡!

静岡どうなってしまうの!

政令市があっても間違いなく田舎と言える静岡。県内両政令市の最北端は、なかなか、なかなかの田舎だと思います。

田舎のおっさん、田舎に居続けるおっさんである私は、田舎にいるデリカシーのない嫌いなおっさんを思って泣き、おっさんとして嫌われている自分を思って泣きます(泣いてはいませんが)。宿命のようなものですね。

アイラブジャスコのベビーカー

イオンモール、通称ジャスコに行きますと、四角い台座のようなものの下にタイヤがついて、三段階リクライニングシートに2ヶ月から2歳まで乗せれるベビーカーがそこかしこに置いてあります。正式名称はエンジェルワゴンというらしいですが、あれ超絶便利よね。買物カゴも載せれるし買った荷物をフックに吊るせるし、(一定の場所に)乗り捨てできるし。僕ら地方民が自分のベビーカーを使わない理由の一端が、「ジャスコにしか行かないのに、ジャスコには超絶便利ベビーカーがある」っつーのがあります。
全国民共通の感覚なのかわかりませんけど、買物時はそういうベビーカーがあるからいいや、でもテーマパークや動物園は貸出ベビーカーは有料やショボかったりするのでベビーカー持ってかなきゃっつー感じですけどどうでしょうか。
よくわからんのですが、電車なども営利企業なので、駅内に業務用ベビーカーを配するという考えはあったりするのでせうか。あ、駅行くまでと駅降りたあとが徒歩なので見当違いだった。ジャスコは必ず車で行くので、車へのベビーカー積み降ろしの手間があったんだった。
体に密着してるほうが騒がないというのがあって、ジャスコ内では割と抱っこひもおんぶひもの人も多いね。
というふわふわした話でした。

農家の自縄自縛

農家は長らく集票マシーンであって、日本のみならず海外でもそうで、補助や規制が多く存在するのはある意味では普遍的である。
日本でも農業には強い規制があり、保護が行われている。非効率だとかT!P!P!とか色々批判もあるでしょうが、保護されている当の農家がうまい汁を吸えてない。
そもそも農業従事者は鬼のような高齢化が進み、平均年齢は66歳。ほとんど若い人いないよね、っつー状態。「実家から送られてきたお米」のできるまでってのを書きましたが、かなり多くの農家が、農業で収入を得ていない。彼らの農業へのモティベーションは、子や孫に米を送ることだったり、耕作放棄で土地を荒らすと草や虫が発生して周りから白い目で見られることを避けるためだったりするのです。
農家は今や出口に殺到している。
ところが出してくれないのは農家を守っているはずの規制だよね。農家が持っているのは大量のババではないか、という。
実はかなり多くの農家が、自分の土地を誰かが買ってくれることを望んでいる。それが一般的な出口戦略だ。ところが農地は農家しか売買できない。また農地から非農地に転換するには許可が必要で、基本は不可である。農業サイドでお金を突っ込んで整備した農地は青地とか農業振興地域とか呼ばれて特に厳しく、ほとんど不可だ。
今や農地を持っている人は農家ですらなく、タダ同然で貸して耕作してもらっている人が大半だ。確かに税金は安いけど、貸して耕作してもらうにも利益どころかコストがかかるというところにきている。
完全に売りたい。
ところで地方では農地に押されるように特定の範囲に人が住んでいる。農地が開発されるなら、買いたいという人はゴマンといる。例え駅チカであっても、農地ならば宅地化できないのだから。
で、こういう規制って誰のためなんだろうね、と。これ割と地方の普遍的な問題なのではないかと思っています。

住宅密集地でも駅がない理由

常々首都圏と静岡の違いがわからない。住宅は密集していても中心がなく、何となく銀行役場コンビニみたいなのがあったりする。電車はJRの東海道線一本しかない。これいかに。
思うに静岡は住宅密集地であると同時に農地も密集してんだと思う。歴史的経緯としては、田畑を整理して耕しやすく整形にする耕地整理発祥の地が静岡だってのもある。昔から平地は田とされ、丘は茶畑とされた。耕地整理には資本が注ぎ込まれるので、基本的には宅地化に制限があるのよね。
というわけで人間は農地ではないところにギュウギュウに押し込まれるのであって、理不尽だなあと思ったよ。町はもっと広がり、農地と棲み分けられるべきではないか、と。
とはいえ、正直、駅のないような地で、行政はほとんど街作りなど行ってこなかった。民間開発にほとんど任せた、と。街作りと言えば、区画整理かなあと思うけれども、駅という中心が、集客がないと成り立ちづらいよね。
こういうただただ人が住んでるとこって行政がなんとかするって発想はないのかなあ。これから色々と問題が生じてきそうなところではある。
てなわけで、実は田舎でも土地はそこそこ高くて、ほんとはもっと土地が値下がり→農地が宅地にできるようにならないと、田舎に人を呼ぶ手段がないのではねえかと思ったりするところであります。
あ、題についてあんまり説明がないけど、住宅密集でも農地が密集して住宅密集地同士が分断され、駅を持てるほど人口集中できない、と、まあそんなことかな。多分。

郊外こそがフロンティア

郊外しか新しい開発はできない。旧市街地の開発は再開発と言いますが、現実的にも一駅一箇所だろうなあ。
と中心回帰についてはライフサイクルごとに住み替えてく仕組みがないとね。子育て世帯は子育て終わったら引っ越す。仕事引退したら引っ越す。終の住処は賃貸、としないとねえ。どっちにしろ今の子育て世帯の住処は郊外か賃貸かしかない。
旧市街地の課題を解決する方法は見つかってなくないか。救急車の入れない道路、建て替えのできない家、空き家、空き地等々。今んとこ次の場所=郊外へ行くしかないねえ。火山灰に埋もれたらその上に新しい都市を作るとか。江戸期は200年もつ家を作ったろうが、今ライフスタイルがそこまでもたねえ。
今んとこのフロンティアは山と農地なんだろうけど、山は土砂災害が難しいね。農地は地震が。そもそも農地は農地法がネックだけども。
日本はオワコンじゃないと思ってんだけど、ほんとに人口減り出したね。昔は子どもだった俺目線でも日本は全て右肩上がりだと思ってたけど、まあ違ったもんな。人口も減る必要ないと思うんだけどな。
過去の開発の機運の中では農地を切り崩すような相当嘘臭い開発もやったと思うんだよ。区画整理もそういう右肩上がりの機運がないと無理。イケイケドンドンが開発には必要だよなー。コンパクトシティにはイケイケドンドンがない気が。