調査から開放されたので返却日前に慌てて読みきりました。図書館から借りてた2週間の間まったく読めなかった。
さて、本書は2000年のものなので古いです。だから図書館で済ませた、というところはあるんですが、読んでいても状況はそんなに今と変わらないし、内容に関しても変わるものではないかなあ、と。
ところで話は前後しますが、最近僕の勤めている市で新しいゴミ焼却施設が稼働した。この施設は性能がよいので今まで燃やせなかったものまで燃やせるようになった。それに対して戸惑っている向きもあったので、ゴミは燃やせばよいという理論武装のために環境関連に興味を再燃したのです。
そしたら想像以上でしたね。もともとペットボトルは燃やせばいいと思っていたし、だからほとんどペットボトル買ってないんですけども、ペットボトルは原油の原価は1円ほど、それを精製して4円ほど、計5円ほどの材料としての価値しかないってことらしい。これじゃあ分別してもなあ。5円じゃあ時給900円の人の20秒にしかならないよ。
まず、リサイクルが無駄な理由として①使ったものは分散している、②使った材料は劣化しているの2つの大きな原則がある。大量生産が効率がいいのは周知の通り、分散しているものを集めるには手間がかかり、尚且つ分別すれば小さな自治体でゴミ焼却場を1つ作るようにはいかず、或いは県単位、地域単位での処理工場が必要になる。
材料の劣化について、プラスチックは劣化すれば材料として使えない(燃料としては新品同様、もしくは石油同様に使える。だから燃やして電気を作ればよい)。プラスチックは高分子構造であり、その繋がりが劣化によって切れて再生不可能だからだ。だからペットボトルも古いものはリサイクルできない。さらに現在ではまだペットボトルtoペットボトルは実施段階にない。
あとは分別を誰がやるかってことですよね。家庭内の労働力はタダではない。タダではないがそれをタダと見積もって見かけのリサイクル効率を上げているのが現状だ。洗浄なり分別なりを各家庭で行うことにはしっかり労力がかかっていて、それも本来はリサイクルのコストに含まれるべきだ。
あとは借り物なのでメモをつけます。
・リサイクルするということは毒物を蓄積することである(リサイクル過程に毒(多種多様であり個別に対応せざるを得ない)を発見、排除するシステムがなく、永遠に貯まり続ける)
・リサイクルとは帳簿の付け替えである(一般ゴミであるゴミをリサイクルで工場に回せば、その過程で出る大量のゴミは産業廃棄物という名目になり、ゴミの帳簿につけなくていいのでゴミが見かけ上減る、しかし、実際は増える)
・ゴミをまとめて燃やせばダイオキシンは出ない(庭焼きのようなやり方は条件が一定でないので適当な反応が起こる。条件を整えればそういう反応は起きない。)
・ゴミは金属も含めてまとめて燃やし(そのほうが分別するよりは金属を回収しやすい)、灰を人工鉱山(金属資源が枯渇した時に使う)として保存する
・リサイクルに汗を流さず、生活に汗を流す(エアコンや車を使わないほうがリサイクルだ)
・紙のリサイクルは非効率的、石油という枯渇可能性がある資源を使い、木という再生可能性がある資源を再利用する。木は紙に使うにはまだまだたくさんある。紙の原料は主に先進国の木で、先進国の木は増加している。
ペットボトルは石油なんだから、リサイクルする必要がない。それなら車に乗るのや電気を使うことを少し我慢すればいい。それをしない人にリサイクルの強要をされたりすると非常に腹が立つ。もっと理論武装したい。ついでに僕は最近物をあんまり使わなくなってる。

<国勢調査票>焼却男性、回収難しくストレス…辞めたかった
わかる!わかるわぁ・・・!

男性の地元では、住民が持ち回りで国勢調査員となっている。男性は国の他の調査を担当したことはあるが、国勢調査は初めてで70世帯余りの団地を任された。

この記事の中にいろいろ問題はあるけど、これは結構大きい問題ですよ。調査員の手当は安いし、持ち回りってことは義務かつなるべくやりたくないってことですよ。正当な報酬と正当な身分保障、誇りなどがあって仕事というのは成り立つのではないですか?ボランティアだったらやってる途中で嫌になったらやめるやん。
あと市もこうなりゃかわいそうだよね。実行部隊であって、国勢調査とは何にも関係ないんだからね(そのへんの位置付けも僕にはよくわからんけど)。国勢調査員は非常勤の国家公務員ですからね。市に何の関係があるというのか。
今回僕がやって思ったんですけども、調査員には調査員に向いた特性が必要ですよ。犬が苦手だと民家は回れないですから。細かい事務作業も多いので根気は何より必要ですね。交渉ごとだから対人能力も。できれば利害関係がない、と言ったらあれだけどおばちゃんがいいよね。若い女性とかは見知らぬ男性を警戒しますから。あと調査の内容を知ってることがまず第一。経験者がベターですよね。
そんな調査員を「持ち回り」ってなあ。この人は誠実にも焼いちゃったからニュースになって事無きを得たけど、適当に書いて提出する人だってあるんですよ。調査の信頼性に関わる調査員の信頼性については不問のまま、かなりの部分が調査員に任せられてしまっているのです。もっと言えば負担を転嫁されている。
信頼性の高いデータが出るのかなあ。

僕がペットボトルを嫌いなのは、最初いかにも環境に悪いけど便利ですみたいな顔で登場しておきながら(その時は僕はペットボトルが好きでした)、そのあとで「環境に悪い」がクローズアップされさらにはペットボトルリサイクルという話が出てむしろリサイクルできるから環境にいい、というイメージまでつけたがっているから。最初の段階でペットよりよかった缶が消えてペットが環境にいいなんておかしいのではないか。
思えばむかし小学校でプルタブを集めされられたり、牛乳パックを集めさせられたりしたなあ。小学生の人件費が無料だからできることだけど、プルタブ云々よりまず缶を買っちゃいけない。無駄だから。しかも非効率。あんな少量を資源としてどうすんねんっていう。ただの掃除でしかなかったな。じゃあ掃除って言えよ、っていう。
牛乳パックに至っては牛乳そのものが体にいいのかっていう懸念すらあるからね。だって牛乳が体質的に飲めない人だっているんだしね。それは「体に悪い」ってことだぜ。あと僕子供のころ無茶に牛乳飲みまくったけど、全然いいことなかった。背も伸びなかったし。
アルミ缶は原料が豊富にあるし、アルミがすごく薄いし塗装もしてあるから集めてリサイクルするより焼いて埋めたほうがいいって前述の本に書いてありました。

議論のウソ (講談社現代新書)

議論のウソ (講談社現代新書)

うわー長くかかったーやっと読み終わった。ちょうどまあリサイクルのウソ的な本を読んだばかりなので時期はよかったのかもしれない。
要するに、問題は簡単ではない、結論を急ぐな、考えろって話ですね。留保。リサイクルにしたってするのが悪いという論調、いいという論調の2つがあって、それらを戦わせることが必要なんですよね。
この本で例に挙がっている「ウソ」としては、少年非行増加のウソ、ゲーム脳のウソ、電車内携帯電話禁止のウソ、ゆとり教育批判のウソがあります。このどれもが論を進めるために強引なウソが使われている。その強引なウソに対しては慎重になる必要があるが、まてよ、結論までがウソとは証明できないのです。
確かに最近少年非行は増加しているのかもしれない、ゲームをすると脳に悪いのかもしれない、ただ、前述「ウソ」の言い方ではこれは証明できなかったに過ぎないのです。証明は出来ないがホントであるのかもしれない。
まあ僕はこの本からのメッセージを「不断のアップデートを続けろ」、ととりました。日々難しいぜ。