私たちはスペックと結婚する

昔3高、今3低。カー付き、家付き、ババー抜き。私たちは結婚相手にスペックを求めます。結果、自分の選んだまたは妥協したスペックと結婚することにはなりますが、私たちが一緒に暮らすのは、生身の人間です。
さて、私は何かしらのスペックを持って結婚したのだとは思いますが、何の因果かマスオさんになりましたので、スペクトラムに色々な人と関わり暮らすことになりました。運悪く長男なので、妻には長男の嫁という立場を結果的に強いることともなりました。結果ですね、すげートラブル多い。すげートラブル多い。
詳細については僕や誰かを傷つけるので書きませんが、育ってきた環境が違うからぁぁあんのすれ違いは否めないんですよね。そういえば山崎まさよしは長男について歌っていますが、私にはセロリよりもそっちがストライクです。
夫婦喧嘩なのか何なのか、コンフリクトとかいたたまれない状態、許しの得られない状態など、罪・咎・憂いの全部乗せ状態アーメン。お互いが覆水盆に返らないことはいくらでもあります。言っちゃいけないことは、気軽に言ってしまいました。心に抱えていることも、ケロッと忘れたこともあります。
それで?
それでっちゃあそれで、なお話なんです。お互いに相手に対しても自分に対しても、変えようと思って変えられなかったことが山ほどありますし、ほとんど100%に近い。ただ、ぶつかる中で、慣れちゃったり、少しでも気をつけたりとか、そういうことで将来へのぼんやりとした展望にしている。
相手は変えられない。自分は変えられる。ただこれも一筋縄ではいかない。どっちもしんどい。結局のところ、新しい「2人」というものを作っていくしかないところもある。
生身の人間は、正直取り返しがつかない。過つ。楽をする。取り繕う。甘やかす。過剰・不足がある。常識がない。ただの混沌だ。そんな中で私たちができることは積極的に混乱することなのではないかと思う。僕は、とりあえずそんな感じだ。
(あ、お題に沿っていない)