歩く街

遠い州に住んでいると、そして遠州灘に近い方に住んでいると、つくづく飲み会の足がないことを実感する。東海道は53次のちょうど真ん中ぐらいなのだけれども、そっからけっこう南なんだよね。という話でどれぐらいの方が実感していただけるかはさておき、この地は車社会で、公共交通機関に乗るのは結構たいへんなのだという話。
で、まあ飲み会があったりすると無理やり歩いたりする範囲もあるのだけれども、歩ける道と歩けない道がある。駅近とか言いますが、やっぱり2kmぐらいまでですかね、歩くのは。人間は時速4kmぐらいで歩くといいますから、30分ぐらいまで。それ越すとつらい。
最近でこそ歩くことを全く考えない街作りになってはいますが、昔の集落で考えるとやはり歩ける範囲というか、歩く範囲ぐらいが集落ですよね。で、だいたいそこが一つの行政単位だった、と。明治の最初ぐらい?
もっと前になると江戸時代なわけですが、うちとこは6万石ぐらいの小藩の外れではありましたが、お城までは2kmぐらいでかなり余裕で歩ける感じですね。うちの一帯はうちも含めて瓦を作っていたので、城下まで運んだということもあったのでしょうか。
ふわふわした話をここで1つはさむと、祖父の代に県道に用地を売って、集落を分断する形で県道はできたのですが、「歩く」という観点では、不思議なことになりました。子どもを連れて散歩していたりしても、ここに県道がないのが普通だなあ、と、歩行者としては体感できます。具体的には大人が手を広げたぐらい、1.8m幅の道が県道のこっちとあっちにあるが、県道を横断するのは難しい。モータリゼーションには正しいことだけれども、世界ふれあい街歩き的なところからは寂しいところではあります。私はモータリゼーション側の人間ですが。
私のお仕事に絡めた話をしますと、区画整理というお仕事は割と連続性がないですよね。過去との連続性もなくなりますが、縦横の連続性もなくてもできるというか。いや、アクセスという点の連続性はもちろんあるんですが、そこから隣の集落まで歩けなくても住宅地ができちゃうというか。車社会では正しいことなんですが、歩いても楽しくないのかもなあ、とも。
どんどんどんどんそういう宅地開発が繋がっていけば面白いのかもしれないけど、今はその途中なのかもなあ。
で、ちなみにそういう基本的には歩く人がいないような遠い州で、僕の生まれ育ったようなところは「歩く」という意味が消失している。大昔とは違って歩いて村役場に行けないし、軽便鉄道も走ってない。歩いてはどこにもいけない。モータリゼーションに繋がってるのでとりたてて不便ではないが、飲み会には不便。いつか面白く新しい開発に飲み込まれればいいなとは思っている。