農家と確定申告

2年前に、「実家から送られてきたお米」のできるまでという日記を書いたのですが、実は当時育休から復帰して4ヶ月ぐらいのエセ税務課職員だったので、それから確定申告を2シーズン経験した感覚でもう一度総括してみたいと思います。


今年から我が市では、農業に関わる確定申告から手を引きました。税務署の会場で作成して下さい、ということになっています。そもそもが農業の確定申告をしたい人が領収書の束を持ってきて「何にも書いてきやへん」「はぁおじいだでわかりゃへん」「そっちでいいようにやってくれやい」等おっしゃることに対して市職員が農業で赤字の確定申告書を作成し、還付金をせしめさせていた、というのが今考えればなかなか剛気でした。その結果、大量の行政に頼りきる確定申告難民を生んでしまったことは反省すべきことだと思います。
そもそも赤字の農業申告が恒常化していたことがちょっとあんまりなことです。農業、業というのは「なりわい」なわけですから、それで食ってけないのに農業ってのは欺瞞です。ところが歴史的経緯をもって、「農家」というものがずーっと存在してきてしまっていた。農家は農地と農業を相続するので、だいたいが今農家をやっている人の多数も、昔は勤め人でした。退職してから親から引き継いだような感じです。
市が赤字の申告書を作っていたことについて。そもそも赤字の申告書を作ると所得税も市県民税も国保税も減るし作成の手間が多大なので行政にとって何もいいことがありません。もしかすると昔は小規模農家でも所得が出ていた時代もあって、申告書作成補助が、税収アップにつながっていたのかもしれません。しかしその歴史的経緯はともかく、今は小規模農家で赤字でない申告ってのはないぐらいなので、真面目に考えると税収を減らす自殺行為みたいなものです。赤字の確定申告は義務ではないので、税金の還付を受けたい人が自分でやるべきものであろう、と。
アメリカの確定申告は、タックスリターンというそうですが、実は日本の確定申告もかなりタックスリターンの側面は強い。そういう面について、一般に認識がかけている気がします。話は飛ぶけど、医療費控除も、所得なくても10万円超えた医療費の領収書持ってくればお金が還付になると思っている。違います。所得がなければ還付になりませんし、逆に所得がなければ1円からでも医療費控除につけられます(医療費控除は所得の5%を超えたところからつけられるから。もちろん無意味)。
話が飛びました。タックスリターンという面について、とにかく確定申告は、しなければいけないという義務のある人もいますが、大半は税を還付したい人が行なっています。そもそも一般の人の多数を占める給与所得者なり年金所得者は、収入から所得税源泉徴収されています。基本はそれだけで終わっているのだから、後は還付を受けたい、自分が税を返して貰いたいという意図を持ってやることなので、僕はここは自立した納税者として振舞いたいものだと考えます。
さて、もう一度農家の話に戻ります。農家というのも基本は世襲というか一般の家庭です。さらに先祖が特に農業に秀でていたわけではありません。農家は歴史的経緯の中で一定の政治力を持ち、平日にも行動できるため、行政には自ら要求をすることができました。その要求というのは色々あったでしょうが、その1つがこの「市役所に確定申告書を作ってもらう」だったのではないかと、大げさではありますが、そのように考えたりもします。書類作成は一般の方々にとってかなりの負担感があるようで、収支内訳書を伴う確定申告書の作成は、昔は特に骨だったでしょう。
現在、インターネットの普及も有りお互いに情報を受発信しやすくなったため、行政と住民の間では、「協働」と呼ばれるようなものが求められてくるようになってきました。行政は何も知らせず甘くすればいいのではなく、説明し理解してもらいお互い行動する、そして住民は自立し行政に働きかける。確定申告というものに対しても、過渡期である今は、説明し、理解してもらう時期にあると思っています。
確定申告も、今では簡単に情報にアクセスできますし、国税庁のホームページでも確定申告書が作成できる、なかなか優れたものです。税の仕組みが多少ややこしいことはあれど、一般に思われているよりはシンプルなものだと思います。今の若い方たちには当然の自主申告も、今や年配の方にとっても当然となっていくべきだと思っています。
そんなわけで私は、この地にも自主申告の伝統が根付くことを税に関わる仕事をするものとして祈っています。