道州制と国保税

なんとなく今まで道州制支持の立場だったんですが、こちらの記事(ビバ道州制)を読んで違和感が。シチュエーションを想像しやすく書いてあればこそ感じた違和感です。
まず、田舎在住の人間として、そしてUターン就職が多い地域に住む人間として思ったのは、住む場所による投票ってそんな簡単におきるのかな、ということ。この地では、というより日本全国そうなんですが、不動産の相続というのは法定相続(親族が決められた持分を割り振られる。遺言に拠らない。)で行われますが、そこそこそれが有利なんですね。今まで土着で相続が行われているし、農家でなくても農地を持っている人も多く、遠州ともなればそこそこどこでもいい土地なんですよね(モータリゼーションが発達しているから)。恒例では長男が相続するが、生前に次男以下が親の農地を転用して家を建てる、なんてのが歴史的にあった。地域ごとに特性が出るほど移動が自由ってなかなか思えないんですよね。
そしてもう一つ、地域ごとの特性と言えば、ここ遠州は進取の気風があるとかやらまいか精神とか言って、豊田佐吉を生んだとか本田宗一郎を生んだとか、まあ車産業が盛んです。ホンダもトヨタもいないけどさ、スズキがいるよ。地域特性は地理が生んだものでしょう。ただ、基礎自治体というか、自治体の境は何かの意味がある境じゃないですよね。遠州という地域には共通の地域性があっても、行政の最小単位としての市町村には、あまり大きさや形の意味は無い。
一般的に、市町村はどこも同じメニューがあって、同じことをやっている。同じ法律のもとで、国から同じ頼まれごとを受けているわけですが、国保だけはちょっと珍しく自由度がある。
例えば国保税(税金)として集めてもいいし、国保料(保険料)として集めてもいい。税額料額の算出方法もある程度の縛りがありつつ、選択できる。大きな違いとしては所得を使う方式と住民税額を使う方式。さらに固定資産税からの加算の有無、個人ごとの固定の金額の多い少ない、世帯ごとに加算される金額の有無、さらに所得や住民税に掛ける税率等々、もう1つとして同じ計算方法はない。さらにどれだけ赤字にするかとか、赤字の補填を他の収入から入れるかとか、もういくらでも違いがある。果たしてこれが、住む市町村を選ぶ1つの理由になるのか。
さらに国保都道府県の強硬な反発により、現在広域化に失敗し続けている。保険なんてものを市町村単位で持つのは危険極まりなく、民間ならそんな保険潰れてる。規模のメリットもないし、医療費のかかる人が数人いるだけで破綻しそうになるほど小さい村だってある。サービスごとに適正な行政区割の範囲であるとかは違うと思うし、市町村のやっていることは国で持つべきだと考えることのほうが多い。
地域で分けるということは、本質的に意味がない。NTTの西と東で地域性があるのか。地域の電力会社は競争があるのか。JRは?ベビーベルはどうなったのか(また寡占化したのではないか)。郵政は地域ごとに分社化すべきなのか。政令市になった浜松市が旧浜松市域をいくつかに分けたが、今また一体的に事務をしたほうがいいのではとか言われてるし。
確かに東海地方はトヨタを筆頭に、同じような地域性はあると思う。しかし、東海州として処理すべき課題って何なのだろう。外国人集住都市会議はほとんど東海州の課題の取りまとめのようではあったが、それとても東海に限られた話ではなく、同じ課題は群馬の大泉・太田あたりの富士重工城下町も持っていたわけで。
今の問題は、国が情報を把握すべきことを、事務を市町村に法定受託事務で出しちゃってるから把握できないことなんじゃないかなーとか思う。国保も戸籍ももっと国が関わるべきだと思うんだけど。
あと土地や法定相続周りの処置をしないと道州制で地域性、ってのが出にくい気がするんだよね。
個人的に、道州制は、「県って何やってんだろう」あたりから始まる話ではあると思っている。あと、国と市の仕事の配分がこれでいいのか、っていう全体の話が必要。道州制になった時に、戸籍は道州ごとに扱い違いますでは意味ないと思うし。何というか、市町村がほとんど国の出先みたいなことやってんのに、地方自治とか言ってるのが非常にマズいような。