イクメンについて、私がディスろう

私の中の被害妄想のようなイクメンディスが、幻聴のように喧しいので、ここは先手を打ってイクメンをディスろうと思う。
諸君、イクメンとはどこにいる?そう、家の外だ。家族以外に観察されるものがイクメンだ。(家族に観察されるものはよく訓練されたイクメンだ。)だいたいにおいて、イクメンなんてのは、バズそのものなのだ。単に視線を騒がせるもの。
そういった意味では、まあイクメンなんてのは多い、多い。ショッピングモールへ行けば、子どもを連れているのは男親が多いし、溺愛している空気すら読み取れる。おむつを替えに行けば、隣もイクメンだ。基本、ショッピングモールでのメインの目的は、母親の買い物なので、昭和の昔から子守はイクメンの仕事と決まっている。
ええい、まったくうるさい。
イクメンがいったい何をしているというのだ。彼らが観察されない家での育児ってのはどうなっている?それらは「ママ」が全て行っているわけだろ?どの面下げてイクメンだ。まあイクメンって自称はしないわけですけれども。外に出て育児面する育面どもが、家に帰っても育児してくれたら!いや、これイメージなんで、実際に育児してるかしてないかは知らんよ。それは大事なことではない。
ディスるべきなのは、そういうイメージとしてのイクメンだ。外でバズっている、育児に対してキラキラと無邪気なイクメンが、家で発狂するような多重多発育児コンボを、こなしてなおも無邪気にキャッキャアハハなわけはない。俺の夫がこんなにイクメンなわけがない。
社会には既に、昭和の昔からイクメンがあふれかえっていて、そういうバズに対してようやくイクメンという名がついた。で、そういうバカで、空気読めてなくて、妻から「やって欲しいのはそれじゃない」と思われてて、でも息子娘が好き、というイクメンってさあ、俺は悲しいぐらいに愛おしいのよ。いいじゃん、俺らもわかってんだよ。まあ男ってさ、社会的に空気読まずにやってるジェンダーがあって、そういうのホント弱いのよ。イクメンが不恰好だったり、ダサかったり、かっこつけてたり、ぎこちなかったり、そりゃあわかるよ、外から。でもそれも信念だと思うんだよね。社会の半分は、男親の愛でできてたっていいと思うんだよね、僕は。男親は、今までも子どもたちを愛してきた。それは誰からも褒められないけど、止められない。
イクメンには本当に問題が山積している。自分自身が何も理解をしていないし、周囲だってそりゃわからんでしょ。でも、残念ながら僕はその悲しさにやられている。ディスられてもいい、頑張って子どもたちと妻との日々を生きようぜ。たまらん日々なのだよ、イクメンとディスられる日々は。そして、イクメンとディスられたとして、僕らは誇りを持って生きられるよう、愛だけは確かなものにしようぜ。