バラ色の日々が待っている

連綿と続く人間の歴史を、もし未来から見るとするならば、きっと今は激動だろうね。過去の歴史がそうであるように。
遠 州、という小さな地方に住んでいます。僕らぐらいの世代ですと、自分たちが育ってきた時代を、写真やホームビデオなどで、振り返ることができます。過去を思い出せば、昭和というものは遥か遠くになりにけりだね。黒電話は言うに及ばず、天井の特徴的な模様とか、今でも確認できるものがあります。実家のリビングには、僕の知る限りずっと、タイマイが飾り続けてあります。
当時なりのデザインというものはあったのでしょう。僕が生まれる少し前は、築200年の古民家だったそうですし、和的に洗練された、最後のデザインや営みがあったかも知れません。しかし、それを潰して、いや、今思っても潰すのが正しい選択ですが、昭和モダン的な、郊外から田舎に典型的な一階が広くて2階がそこにちょこんと乗っかった家、が建ったわけです。今考えると、これは非常に貧しいものですが、当時はまさにバラ色の未来がそこに現れたんだと思う。
遠 州、という土地柄は、まあ僕の印象では農と工と漁が盛んで、あまり商が盛んではない土地柄だったように思う。高度成長期に周辺自治体では工場誘致を積極的に行い、というよりは、工場が建つに適した場所だったのでしょう、工業製品出荷額では日本屈指とも言えるような場所になった。アイコンは、といえば、バイクとか楽器とか軽自動車とかそういうの。
僕が子供の頃、よく覚えてないんだけど、浜 松にあるデパートによく行った。西武百貨店とかだった気がするんだけど、無印良品が入っていて、子供心にオシャレだなあと思った記憶がある。でもすぐなくなってた気がする。
紆余曲折あって、まあ、浜 松に無印良品がなかった期間はあまりなかった気がするんだけど、まさに今、無印良品が遠 州に咲き乱れている。というより、巨大SCにほぼ入っている、というだけなんだけど。無印良品のアンチブランド、みたいな姿勢が、その昔の遠 州に、かろうじて受け入れられた部分があって、浜 松という街とともに一旦しぼんだけれども、また大きく花開いている。何となく、象徴的。
「遠 州泥棒(食えなくなった時に、遠 州人は泥棒になる)」というのがこのへんの人の気質を表すらしいのだけれど、せっかちで、「やらまいか(by本田宗一郎)」とか、前のめりで、雑で、割と荒い。商業ってのがあんまりないので、接客というのはあまり栄えていなかった。そんな中で、巨大SCが雇用を吸収しだして、少し接客に関わる人が増えてきている。
相変わらず客は工場系が多いのだけれども。そんな土地に、無印良品的な、ブランドを志向したけれども、それを否定しようというブランドであったり、ファストファッションやカフェ的なもの、そういうセンスとしか言いようのないものが根付いてきている。キティちゃんサンダルやクロックスだけじゃない、ビルケンシュトックみたいなものが歩き出している。
僕は、「人間はデザインやセンスを食べて成長している」と思っている。いや、街もそうなのだろう。学校で習う勉強とかよりも。街のデザインやセンスが人を成長させるのだ。現代にはそういうデザインやセンスが溢れ出してきている。僕の子ども時代に、おしゃれなカフェどころか、職人気質の喫茶店もなかった。デザインやセンスが溢れる、こんな日常で育つ子どもたちが、次代の日本を作るのだとしたら、どんなにバラ色の日々が待っているのだろう、と思うよ。