名前は誰のもの?

何となく名前って公的なものだっていうイメージが巷間強いような気がして、でもその公的なところで働いているものとしてはちょっと違うんじゃないかという違和感を感じていて、というお話。
子どもが生まれるとお医者さんから出生証明書を貰って、その左半分の出生届を市町村に提出するわけですね。そこで名前ってのを公的に登録する、って感じなんですが、この登録ってところにテクニックがあって、というか技術的な制約とでも言おうか、子の名に使える文字は非常に限られちゃってるのね。龍の字体が戸籍に登録できるのだとちょっとかっこ悪い、とか、まあどうでもよく細かいこと言やあいくらでもあって、この名前の公的な登録自体が、ある人の正式な名前のことだとは、僕には思えないんだよね。
今度は別の視点から。戸籍ってのは昔はもちろん手書きだったわけで、クレバスを飛び越えるようにエイヤッ!と電子化しちゃったのね(してないとこもあるよ)。その時に正字誤字俗字とかそういう区分けができたというか、誤字は電子化できないので、ごめん、ほんとじゃないけど正字にする、みたいなのがあったわけ。で、その後の国からの通知かなんかが、「おい市役所の木っ端役人ども、戸籍に載っている字をほんとの字だとか言い張って、本人にその字を無理やり書かせたら怒るでしかし!」みたいなことをこっそり呟いたので、結局誰もそんなこと聞いてなかったんだけど、実際は戸籍の記載よりも正しい名前があるってことなんだと思うんだよね。
さらにまた別の視点。昔のおばあちゃん方は特に、「子」のつく名前に憧れたりして、自分の2文字の名前の後ろに「子」をつけて生活してたりしたんだよね。昔はそれで通帳もできちゃったりね。まあこういうのが昔の日本の名前の感覚なんだろうと思うけど、結構名前は自分の自由にしていいっていう日本文化、みたいなのもあると思うんです。「ゑ」って戸籍に書いてあるのに自分は「江」って書いたり、実際意外と多いんですよ。
こういう文化的な背景、戸籍の歴史、自体の制約は行政の事務の問題から、っていうようなことを考えると、名前は完全に個人のものだと僕は思うのです。自分で勝手に名乗るとか、好きな苗字を使うとか、全然いいと思うんですよね。
ちなみにパスポートから考えると、外国に繋がる名前だと、ヘボン式ローマ字以外の綴りも使えるようになってますね。技術的要因さえクリアできるなら、公式にも名前は自分で決めれるものになっていいはずだと僕は思います。