外国人の生活保護

生活保護受給者の97%が日本人、という話があります。3%のうち、南北朝鮮の人が半分ちょっと。南北朝鮮の人が55万人ほどで、その中で特別永住者が39万人であり、経緯から見ても特別永住者は日本人と同様に考えていいと思うので、イメージ的には生活保護受給者の98〜99%ぐらいは日本人と考えていいのではないか。
さて、外国人が生活保護を受ける難しさについて考えてみる。私が一番目にしている外国人といえば当然ブラジル人ですので、主にブラジル人の話だけど、20万人日本にいるのに、生活保護受給者は2000人ぐらいだという。1%ぐらいなので、むしろ日本人より少ないぐらいだ。
「むしろ」、というのは彼らの置かれた状況にある。リーマン・ショック後には在日ブラジル人の半数が失職(雇い止め等。みんなハケンで働いていたから。雇用の調整弁として。)するという凄まじい状況になった。ブラジル人コミュニティはほとんど干上がった、と言ってもいい。最盛期に30万人いたブラジル人は、この5年で20万人にまで減少したほどだ。客観的に見て、生活保護の要件を十分満たしている人が多かったはずだ。
リーマン・ショック後に彼らはまず自助を行っただろう。ところが当然蓄えも尽きる。親族で来日している方たちも多く、それなりにコミュニティもあり、日本にブラジル式の教会もたくさん作られていた彼らは次に共助を行っただろう。ところがブラジル人の半数が失職という状況かつリーマン・ショック後の戻りの遅さから見ても完全にジリ貧だった。その頃に彼らから生活保護の問い合わせをチラホラ聞いた。ところで日本政府が彼らに差し出した特別な公助としては、ブラジルまでの片道航空券だった、というお話。それでまあ10万人のうち何万人かは帰ったわけだけども。
日本に暮らすブラジル人は、オールドカマーの在日コリアンに対比して、ニューカマーと呼ばれた。定住資格、つまり先祖が日本人という資格を持って日本に10年とか20年単位で暮らす彼らは、移民として、在日ブラジル人という一群を作っていた。このまま年が経てば、静岡県西部にブラジルの文化は根を深く張ったことだろう。今でももちろんその文化は残っているが、かなりダメージを受けていることは確かだ。
異国で生活保護を受けるということは確実に難しい。日常レベルの会話と、法的理解では済まない。外国人の不正受給ということよりも、人道的に、どうして彼らを救うことができなかったのか、ということを考えたいものだよ。片道の航空券渡して、そんなに恨まれたかったのかよ。