若者のマゾ離れ

日本社会は若者が様々な負担をし、歳を取ると利益が得られるようになっている。しかし、当の若者自身にもM属性があった。今の若者はもっとマゾに戻るべきだ、というのがこの日記の趣旨である。
日本の総労働時間は減少している。これは少子化の結果であるという。子どもが多い家庭は四の五の言わずに働く必要があって、戦後の高度成長期をこうした働くおじさんが支えてきた。今の若者は合理的に総労働時間を減らしている。そしてまだ減らす余地はある、という。
若者はもっとマゾに戻るべきだ、というのはどういうことか。今の社会は基本的に若者に支えられている。閉鎖的な旧態依然の組織というものは、年齢による上下だけでエラさが違うので、めんどくさい仕事や新しい仕事や雑用などは全て若者が行う。社会がピラミット状だったら、支えるべき古い人は少しで良かったが、今は逆ピラミット状になってきており、少ない若者が多くの古い人を支える状態になってきている。若者とされる年齢は常に上に向かって更新され、いつまで経っても若者から抜けられない。そして職場に自分より年下の人が配置されない。
さらに、公的部分も若者に寄りかかっている。国民皆保険で会社で医療保険に入り、半分は会社負担って名目だけど、実際その分ってほんとはその人の給料なわけで、数万円分無言で医療保険に取られちゃってるわけね。もう半分は自分で出してることになってるけど、出した先の医療保険は、75歳以上の後期高齢者医療保険に上納金を出すのでヒーヒー言って赤字状態(医療需要が高いのは高齢者だしね)。年金だって賦課方式で、今払った分は老人のもの。税金も扶養する人が少ない若い人は多く払ったり。
こういった話は歴史的に「ピチピチの若い男性」が負ってきた。この若い男性にさらにマゾ成分を加える話として、家事育児に相応の負担が求められるようになってきたことがある。今でも結婚や出産によって男性に対して仕事が軽減される、ということはほとんどない。若い男性は、結婚・出産によって、家事育児分だけ余計に負担が増えることになる。この分野でも頑張って欲しい。
私が若者のマゾ成分に期待するのはそれ故である。基本的にマゾじゃなきゃやっていけない、っていうか、もっとマゾになって、ってのが国や老人の望んでいることなのだろうなあと思いました。
若者のマゾ離れは真に憂うべき状態、とネタで書いてたらマジイライラしてきました。許せねえ。