子どもを社会で育てるということ

えー、私たち世代、特に田舎ではそうなんですが、割と「子どもは社会で育てよう」って価値観の中で育っている、いや、実際はそうでなくても、それが理想だって価値観の中で育ってると思うんですよね。左寄りって意味では今よりそういう視点は活発だったし、教職員は普通に社会党だったですし。

一方、地域社会では、「一緒に叱ろう他人の子」みたいなキャッチコピーがあって、いかに他人の子を叱るのがスバラシイか、っていうイデオロギーも昭和的ノスタルジーの中でもんもんと臭っていた。

放課後なんてのは基本的にソロバンとか習字とか、学校から直行できる、もしくは子どもが歩いて行けるところに託児させたわけで。そういう道すがら、おじいさんおばあさんなんかが、何をするでもなく存在していて、一応は見守ってるって名目になっていたと思うんですよね。少なくとも、地域は安全だっていうタテマエになっていた。

そういうことから考えると、「子どもを社会で育てる」って、前近代的な、いわゆる右の人がご飯を食べれるようなノスタルジックなものになっていると思うんですがどうでしょう。

ポルポトが子どもたちを家庭から取り上げて、冷血で非道なニンジャ*1に育てたって、それは家庭から取り上げただけじゃなくて、社会からも取り上げてるんだよ、と。ポルポトの子どもたちは、社会から取り上げられて、ポルポトのイエで育てられたんだ、きっと。

僕の頭には残念ながらノルタルジーのミソが付いてしまって、「社会で子どもを育てる」ってイデオロギーに対してウザいけど憎めない、ツンデレっとしてしまう昭和脳がある。これは昭和の子どもの可哀想な身の上話だ。

でも、そういうイデオロギー、ちょっと許してやろうぜ。日本の最右翼を担う「子どもは社会で育てろ」厨を、そんなに責めてやるなよ自◯党さん、って思うのです。昭和脳なんだから。

ところで田舎の昭和脳に対し、都会の昭和脳はきっと文化的な生活をしながら家庭でスクスク育ったのだろうと思う。僕の感覚では田舎に専業主婦はあまり多くなかった覚えがあるが、第二次産業から第三次産業に従事していった都会の家庭(専業主婦家庭)には、同じ昭和でも、「家庭で育つ」という新人類が誕生していたのだろう。こちらもまた歴史のある右サイドだ。

どうして自◯的党的価値観は、田舎の昭和脳を切り捨ててしまったのか、これはもしかして農家から切り捨てられているといことを意味するのか?戸別補償法案で、農家は全て民◯党に刈り取られてしまったのか?

などという考察は、当初ほとんどしておりませんので蛇足。

ところで0歳時は家庭で育てるべき、というものに対し、我が家はどう対応していたかというと、社会と家庭の中間、というか、核家族より大きい大家族で育てるのがベターかな、と思いまして、祖父母の8本の手に頼ることにしました。それはともかく、家庭で育てるべきでも社会で育てるべきでもなくて、自分が選べるようにさせてよ、だって人それぞれの状況があるじゃん、と思いました。昭和脳は、子育ては家庭が一番とは思わない脳(家庭と社会って対立してんの?)。

*1:何に育てたか知らないのです…