象の鎖と地震と静岡

象が子どものうちに足に鎖をつけて杭に繋いで置くと、力がないので鎖から逃れることはできない。そして成長して堂々たる巨象になり、鎖を引きちぎる力を身につけた象でも、学習した無力感により、鎖を引きちぎることはしなくなる、という話をどこかで読んだ。
静岡県では東海地震というのは必ず来るということになっている。それこそ子どものうちから繰り返し繰り返し地震に備えることを教えられるのだが、それは同時に「お前は必ず地震の被害に遭うのだ」という刷り込みでもある。普段は気にしなくても、必ず頭の片隅にある東海地震が、割と静岡県民の行動を支配しているのだ。
静岡県民だって他県に逃げることはできる。ただ、総体としては鎖に繋がれた象のように、地震の想定震源域でボーッとつっ立って居る。喉元を浜岡原発に押さえられ、それもまた宿命だと感じているだろう。自身も、原発も、すでに静岡の一部であって、疑うというものではないのである。原発によって電気が供給されるとかされないとか、そういう選択とかじゃない。浜 岡砂丘があり、御 前崎の海岸があり、原発もある。それが当然なのだと。
実は今日軽い地震があったようだ。実際はその度に怖い。揺れる度に怖いんだ。しかしいつかくる東海地震というのは、もう必ず体験するべきことになってしまっているのだ。
静岡は、毎日表面上穏やかに生活している。地震の被害もなく、ほとんど日常通りだ。それは頭に鎖がついているからだろうな。