イエセイダー

名古屋へ行ったときに本屋でイエ制度関係が載っている本の立ち読みをした。イエ制度は解体されて歴史の彼方に消え去ってしまったものでも、単純に克服されるべき課題でもない、と。この場合、「イエ」に対比されるものは「家庭」である、と。この場合の「家庭」は家制度がある時代の大正時代には出現していたらしい。確かに、分家した次男以降はイエであっても核家族だっただろう。そして、この大正からあった家庭(核家族)とイエ(大家族)は当時から現在まで平行して続いているのだ。
法定相続で子どもが親の財産を相続していく現民法上も、イエ制度は滅び去ったと軽視するわけにはいかないだろう。
ところで私はイエ制度が残存したような祖父母同居の大家族で育ち、考え方もそういう状態に親和性が高い。長男として不動産の管理をするだろうなあという漠然としたイメージがある。この何とも言えないイエ制度ではない家庭に育った人には理解のしにくい部分を何とか表現したいなあと思っていた。
というわけで、あえてイエ制度をもじった「イエセイダー」を名乗ろうと思った。イエ制度の人、みたいな感じ。ショッカー(イエ制度)に拉致されて改造人間になった仮面ライダーのようなものかはわかりません。
イエ制度の中で育ってきた僕としては、イエ制度というものを相続されていく不動産だと思っている。それ以外の儒教とか近代国家イデオロギーとかはイエ制度の本質ではない。保守層の言う日本の美風・美徳とも違う。要は自分の住んでいる/持っている(もっと言うと、占拠している)不動産を保有する正統性を主張するのがイエ制度なのだ。
イエセイダーの父は、土地を買ったわけではない。引き継いだのだ。元を辿れば、先祖がその土地に巣食っただけのこと。故に「俺が買ったから俺のもの」という主張ができるわけではないので、イエの仕事や祭祀を継承して正統性を擬態しているだけなのだ。
イエセイダーにとってはこのもっともらしさが大事で、儒教イデオロギーが大事なわけではない。古今、戦国大名しかり、イエを継ぐのは大変なことであり、親兄弟と骨肉の争いを繰り返した。武田信玄も親を今川家に追い出している。織田信長も弟を殺害している。儒教の忠孝どころの騒ぎではない。民法出でて忠孝滅ぶどころではない。現代でも相続は争続と言われるように、闘争の様相を呈する場合もある。だからこそ正統性が必要なのだ。
親の介護したり同居したり、イエを継ぐつもりならいかに他の親族と同意を得られるかが大事だ。金で解決するでも、口で解決するでも、暴力で解決するでもいい。努力が必要なのだ。
だからこそイエセイダーにはイエを継がない選択肢も当然ある。他に継ぎたい人がいれば継いでもらえばいいし、換金できるなら精算してしまえばいい。忠孝とか美風とかキレイなこと言っても結局貰うもんに魅力がなきゃ、モチベートされねえよ。
逆に言えば、忠孝とか美風とかは核家族にも浸透しうる。逆に、しやすい。もうイエセイダーは利害対立集団だから、そんなキレイなものでは動かんのよ。保守な人達は須らく核家族を目指すのだろうな、とイエセイダーは思っています。
そして僕にとっては、「継ぐべきか、継がざるべきか。それが問題だ。」
以上。あと名字なんてのは、イエセイダーには糞。金と土地が問題。