次世代の性役割意識

先日「男性の育休取得者」という立場で、小中の先生の組合の勉強会みたいなものにアドバイザー的に参加した。
学校の教室で行ったのだが、分科会ということで、参加者は女性教諭が10名程度、他に僕のような立場の人が数名、という感じだった。「男女共同参画について」(ジェンダー教育とか)、というようなくくりで、事例発表のようなことを行い、僕らが体験談を披露する、というような流れ。
で、先生方のジェンダー教育の事例発表を聞く。イメージとしては、子どもたちは素朴に現在の性別役割意識を受け入れつつあるように感じた(例えば、運転手や医者には女性はいない、看護師に男性はいない、と言い張る子どもたち。母親が倒れたら、家事はお祖母ちゃんがやると言う子どもたち。)。子どもたちの親世代も、母が家事、男が仕事、という分担が多いようであった。
男女共同参画に異論のある人は少ないだろう。男女雇用機会均等法の話も出たが、男性と女性が雇用の場で差別されてはならないというのは共通認識にもなっている。
ところが仕事の現場では、形を変えた差別が残っていたり、女性のM字カーブ*1も解消されていない。働く女性(とくに母)が働きやすい環境とは言い難い状態だ。
先生方はジェンダー教育で、「そういうのはまずいですよ」と教えていくんだろうけれども、家庭に戻ったときに、母が補助的な労働だけをしていて家事を主催し、家計の主な担い手の父は家事はしない、という家で育つ。
ちなみに僕の母は小学校教諭であり、個人的体験としては母親が働き、多く稼ぐという家で育った。そういうのが僕の性役割意識に強い影響があったと思っている。
今回この場にいた先生方も、家に帰れば働く母親であることが多かっただろう。教師であるとともに、働く母親である彼女たちが、次世代の働く母親の子どもというのを育てていくというのもとても大事なことなんだろうなあ、と思った。
同じように、教師でない働く母親も、自分の子どもに、自分が働いている意義をどう伝えるのか、というのは大事なことなんだろうなあと思います。また、働いていないにしても、性役割なのか、家族内での役割なのか、区別して教えることも意義があると思います。
この話は僕の育ち方というバイアスが強くかかっているので、眉毛に唾をつけたり3Dメガネを掛けたりしながら、懐疑的に読むことをおすすめします。
※追記:もちろん夫婦関係が大事です。母と書いていますが、そこに父はいます。

*1:妊娠出産時にガクッと就業率が落ちる減少