末端からの国際化

国粋主義の少年だった私は、ジャパンアズナンバーワンの夢を見て、大東亜戦争で広がった版図を見ながら、ここまでが日本だったのに、とハガミしたりしてました。当然のように「英語なんて必要ない」と社会に出てから学校の勉強が何の役に立つ?の延長で思っていました。
そんな私が何故外国礼賛の人間になったのか。簡単に言うと、浸透圧の関係です。
予兆はインターネットにて溜め込まれます。直接の大きなきっかけは田舎の市役所のさらに末端の支所の窓口に異動になったことです。グローバリズムの、地球の、末端。1万2千人の住民の、戸籍等住民登録がらみの窓口の仕事です。配属されてわかったのですが、僕が住む地域では当時平均して外国人が5%ほど住んでおり、そこも同じくだったのです。5%の内訳は、80%がブラジル人、5%が中国、フィリピン、ペルー。残り5%が東南アジアその他という感じでした。
外国人登録という、日本人と別に外国人の住民登録を管理する仕事もしたのですが、外国と関わるという意味で深く関与したのは戸籍の仕事のほうです。
婚姻等の身分行為は地球のどこでも行われます。通常は国内同士が多いですが、国をまたいでも行われる。戸籍の仕事の中で、特に外国が絡む事例を「渉外戸籍」と言うのですが、この事例が厄介だ。
基本的には婚姻。つまり国際結婚。日本では婚姻と言うのは個人の同意だけで行われ、市町村への届出で成立する。でも外国はそれぞれ違うわけです。日本に絡む外国人が婚姻を成立させるためには、日本の法律と外国の法律の2つを睨み、要件を揃える必要があるのです。(日本では、外国法と日本法の間を取り持つ通則法というものがあります。)
何言ってるのか自分でもよくわからなくなってきています。とにかく、市の末端の戸籍窓口では、外国法を勉強する必要がある、と。もともと日本の戸籍は届出で成立して戸籍窓口に法律能力はないのに、婚姻に裁判所(法律的な調査能力とかある)からめたりする外国の婚姻を審査するとか無理じゃね?だからまあ「婚姻要件具備証明書」というものがあって、「私たちは本国法に照らしても婚姻要件を具備しているので問題ナッシングです」って婚姻届に添付してもらって届出てもらうんだけど、結婚しようとする一般の方のほうが、法律に関して暗いことが多いわけで、多少とも明るい市役所が「こういうものを揃えてください」とか言う必要があるんですよね。それ調べるのに外国法見たりするわけで。
そんなわけでブラジル人同士の結婚とか通算5件ぐらいは成立させたと思うんだけど、ブラジルの法律をポルトガル語を訳しながら読んだりもするわけです。あー日本と全然違うなーとか。添付書類もポルトガル語で、訳文ついてるんですけど、職場の上のほうでいろいろ言われたりしたので、それ自体も僕が訳してみたりとかして。
そんなわけで、地球の末端であっても、外国と濃密に接することになっちゃったんだよね。他にも日本語忘れたアメリカ在住の日本人から「please send me a kosekishohon」ってなエアメールをもらったり。国と国との間を力技で取り持つ末端の作業をしてたわけ。彼我の違いと言うか、外国と日本の違いが見えてきて、日本だけ独特で、しかも無意味なことしてんだなあ、と。右翼とか保守とか日本バンザイとか言ってますけど、それ維持する現場としてはこれもう制度疲労だぜ、と。古き良きというより、古いんだ。
そんなわけで日本の戸籍制度やいろいろな法制度について、だいぶ懐疑的になりました。今は日本の末端にいても外国と関わることが増え、このままでは困るという人達が、静かに増えていくだろうと思っています。