高齢化社会

内需拡大について考えることがあるんだけれども、高齢の低所得者にお金を配った時に、彼らは何を消費するだろうか、と。消費するにも創造性がいるのであって、貧して鈍したらどうやってクリエイティブな消費をできようか。お金があるにも関わらず、地デジなんぼのもんじゃと気勢を上げ、我ら低所得者を貪るのか、と憤る。いや、地デジの経緯とかもういいんすよ。ただね、5万円払ってキレイで軽くて省エネでたまたま地デジ対応(よっ!番組表いらずっ!)のテレビを買うことって、そんなに高いんですかね。そう、高いんですよ。「キレイで軽くて省エネでたまたま地デジ対応(よっ!番組表いらずっ!)」ってのは3万円分ぐらいの価値はあると思うんですけど、これって主観が入りますからね。地デジもアナログも砂嵐も同じように見えてしまうのならキレイかどうかなんてどうでもいいし、例え電気代の差額だけで5万円の元が取れようがそれは情報の話であって、情報を理解しないのなら何の効果もない。
俺たちから見慣れたテレビを奪うな、って人達に対して、内需拡大がどのように関係してくるのか。電子政府が云々言っても、これだけ高齢化が進めば行政が対象とするのは大半が高齢者であって、勢い全てのサービスが対面でのご説明になりかねない。どんなに高齢になっても一人で確定申告ができると言うのか。やはり最後は行政にお世話になりながら確定申告をやり終えるのだろうか。高齢化というのはかなり怪しい問題になってくるような気がする。