名前なんていらない

これからの時代、果たして名前なんて持っている必要があるのだろうか。日本での名前といえば戸籍が一番の元であり、住民票に載っている漢字が戸籍と違っていれば住民票が直されるのが基本だ。そういう公的な意味での名前が一体必要なのかどうか。
例えば家を出た時に、自分の名字なんてものが必要かどうか。まあ今んとこだいぶ必要だけど、昔よりは不要になってきているのではないか。例えばインターネットで生きる我々は氏と名を持っていない。家から離れた個人であるから氏は必要ない。それでも僕のハンドルネーム?(実際使ってないけどね)はurlの通りなんだけど、これは下の名前を用いない限り氏とはならない。インターネット上で下の名前が必要になった時はなく、氏と名が同時に必要なことはないだろうと思う。つまり、形の上で氏であるハンドルネームでも、用法としては名である。
僕は戸籍法に恨みに近い感情があるので、どうすれば戸籍法がないままに制度が組み立てられるかと考える。戸籍法が偉そうに「氏と名」を登録しているけれども、「子の名に使える漢字」だなんて制限されてまで従わねばならんのか。さらにはパソコンで打っても出てこないような漢字が氏に入ってたりとかどうよ。さらにそんな漢字は子につけちゃいけんぜ。
11桁の番号でなぜまずい?名前を国に登録するほうがプライバシーが云々すると思う。自分の名前は自分でコントロールできてもいい。物心つくころには誰もが何かしらの名前をもらっているだろうし、それをハンドルネームにしようがしまいがそれは自由だ。現在、氏が容易に変えられないのは公的な性格を帯びているからだと言うが(名はもう少し簡単に変えられる)、それがどれほどだと言うのだろう。
12345678901という人が98765432109という人と婚姻して父と母がそれぞれ11111111111と22222222222であり33333333333という子供がいるという情報が12345678901本人が本人確認できた時に参照することができればいいのではないか*1。行政には12345678901の名前が何であるかは関係ないし、僕にとっては自分の名前が本当は何であろうかもどうでもいい。僕には普段呼ばれている名前があり、さらにはあだ名も、ハンドルネームもある。戸籍に名前がないからってそれがなくなるわけではない。
誰かデータベースの専門家みたいな人が戸籍法書き直してくんないかな。
行政は自分が情報を持ちすぎるリスクを認識していないと思うな。人の名前を知っていることは怖いことだと思うけど・・・。

*1:行政側からは生年月日と性別と住所のうちの所属する自治体ぐらいまでは知りたいだろうと思う(郵便物を送るために住所の細かいところまで知りたいのかも知れない)。それは住民票の領域から、だけど。あとは国保の有無とかそういう個別の話。一般公開はしてない。