昨日の日記に書いたように、未だに僕は市役所の役割がわかっていないところがあります。合併があっても困らない部署だった、ということがあるでしょう。道路も市民課も合併に関わらず、広く全国同じようなサービスが展開されているところです。道路では配分が問題になり、市民課ではどちらかというと規模の論理が働くので大きいほうが良くなるでしょう。道路のほうでは「合併で悪くなった」ということもできますが、周辺部では意外とそう思っていないでしょう。今まで町中で既得権があったところと、今までも周辺部だったところとでは感じ方も違うはず。
それでは市役所って一体何なんでしょう。少なくとも建設課と市民課には市役所の本尊はない。総務課なんてもっとないし、税務課だって似たようなもの。果たして福祉課にオリジナルなサービスがどれほどあるか。病院などは市を超えた合併話も出ているし、ゴミ焼却場は近隣市と共同で作った。農業や産業でも、市に限った振興策があってよいものか。
それでは企画課ってところはどうだろう。どうだろうって前にその時点で90%ぐらいが振り落とされちゃってるやん。市役所のコア事業から。どこの市にも同じ仕事があり、合併はある意味では容易だ。それなら今までなぜ合併してこなかったか、また、これからなぜ合併しないか、という話にもなる。
話がそれたけど、企画課に戻る。うちの市では企画課の中に統計部門がある。まさにデータを集めるところだ。ところが統計ったって市の独自のものばかりではない。国や県の手足となるものが多い。市の運営にとってどれだけ有用なデータが集められるか、って、あ。今気付いたけど、企画だけが市役所のコアだ、なんてありえないじゃん。頭だけがコアで手足は誰のでもいい?それなら頭だって誰のでもいいよ。実行まで含めて市で完結するのが望ましいから、市で企画するんじゃないか。って考えると市役所って一体なんだ、って話に戻る。
例えば観光で言うのなら、合併した旧市町村でもともとのものがある。合併後の新市でもそれを足し算的に引き継ぐ。それが全体にとって効果のあるものなら継続されるし、もともと無理していたようなものなら打ち切られる。それは逆に全体としての効率がよくなったということであり、市単位で観光行政を行う理由にならない。合併したからおらが町の観光が廃れた。わけではないだろう。
働けば働くほど市役所の意味がわからなくなる。市民課なんかは特に国内全市町村で合併していない理由がわからない。法定受託事務なんていう逃げで市町村が実働してますが、今は紙の時代じゃないので物理的に事務を切断してある理由がない。合併した旧市町村同士ではサーバーが結ばれるが、合併してない市町村同士は関係ない。そんな必要があるものか。
住基ネットは市町村の事務とは言え、一つのサーバーに収まった。戸籍は国の事務のくせに市単位で孤立している。行政の持つ情報を活かしたいのなら、そんな必要があるのか。というか何だよ、市って。市町村独自の施策ってあるのかよ。