権力と空気について考えている。これらは同じではないが、重なり合っている部分がある。
時代劇等での権力は、今見ると滑稽なほどだ。太刀持ち、露払いなどは一体なぜその地位に従事するのか。ところがそれと同じ名前の役割が大相撲にもあり*1、海外から来た若者がその任に当たることもある。序列が形成される中で本人がそれにコミットメントすることで、権力に同意する、一部となる。それは行使する側でもあり、される側でもある。
今でも権力は形成されうる。その最たる場所が職場や学校だろう。なぜ権力は形成されうるのか。それには条件があり、逃亡不可能なこと、情報量に差があること、閉鎖していること、等がある。いやこれ自分の感覚でそう思ってるだけなんですけどね。
逃亡不可能なことの中には、自らの利益によって逃亡ができないことも含まれる。例えば職場や学校では本来的には逃亡可能であるが、自らの利益の上で逃亡が不可能だ。特に学校は顕著で、部活動などでの権力の源泉はまさにこういうところにあるだろう。
権力が働きやすい環境での組織の強さというものは、権力の発揮によって上下するのだろうか。例えば戦国大名の強さが、権力が強く発揮されるほうが強かったとしたら。近畿圏の兵は弱かったということが、権力に従わなかったからだとすれば、権力の強さは組織の強さと相関があるのかもしれない。
現在の部活動でも、強権的な指導をする学校のほうが強くなるのかもしれない。でももう時代は新しくなっているのだから権力以外の方法でそれを打ち倒す方法があってもいいと思うのだ。
例えば人はエラーをする。そして権力によってそれを抑圧する方法で指導をする。ところでもう一つ考え方があって、エラーをすることも一つのパターンで、それを相手が織り込むことで正しい行動の効果が上がる、というもの。例えば野球における荒れ玉や逆玉のような。だから必ず権力が正しいとは限らないと思うのだ。間違いの抑圧は成功の抑圧にも繋がる。トライアルアンドエラーは成功へのステップなのに。
権力には虎の威を借る狐のような存在が発生する。権力に支配されながら権力を行使する存在だ。そのへんが「空気」にからむ。空気を読める人間と読めない人間がいて、例えばそれをスネ夫のび太とするならば、権力に関わる限りスネ夫はいつも得をして、のび太はいつも損をする。これからジャイアンにおべっかを使う場面において、スネ夫のび太の間に差はないのだが、今まで形成された空気によってスネ夫は成功すべく、のび太は失敗すべく行動が誘導される。それが性になる。
失敗し続ける人と、成功し続ける人。彼らは同じだけの努力をして、指導者に賞賛/叱責される。それらは将来を予言するものではないのに、彼らは自分の将来は決定していると思ってしまう。
権力は関係を固定化する。中学や高校での部活動は、一年の時にすべて約束されるものではなく、むしろその後の3年でいくらでも関係は逆転を続けるはずだ。ところが実際は彼らは決定された役割を続けてしまう。権力とそれに支配される集団の全員がそれを望むからだ。
しばらく前から、僕は権力は消滅していっていると思っていた。ところが局面によってはかなり濃厚に残っているし、またいついかなる場所でも発生できるのだ。
今度は権力と情報の話。学校の先生は生徒に対して強大な権力を持つ。その源泉は逃亡不可能性ももちろん大きいが、情報の差ももちろん大きい。生徒が学校で望まれることは全て先生が持っている。望むと望まざると生徒は先生に従うことになるのだ。現場の先生は違う感触を持つだろうけど、何百人もの子供が決められた時間に決められた建物に集まること自体がものすごい権力の発露だと思う。
この情報の差というものは、それこそ現代においては解消されていくべきものだ。その一つがインターネットである。例えば先生が持っている情報であっても生徒がアクセスできるようになり、先生に頼らなくても学ぶことは可能になる。さらに学ぶ領域が限られている学校と、学ぶ領域が限られていないインターネットが並んだときに、必ず学校のほうが勉強に適しているとは言えなくなるのではないか。
何でこのように長々とこんな日記を書いたかというと、実際にそのような人を見たということもあるし、僕がどちらかといえば空気が読めない人間で、権力のことが嫌いだからだ。どのような権力も嫌いだ。支配するのもされるのも。
空気に関して個人的な感覚を書くと、空気を読めることが能力として必要とされたり、重視されたりするが、僕はそういうのがほんとに疲れる。相手の立場に立てばいいのだけれど、視点の移動がなかなかできないような人種がいるのだ。状況の変化しても以前の状況下での答えを出してしまうような。結局空気の読めない人は、トラブルをさけようとするなら、どのような状態であってもトラブルにならない言い方をするしかない。当たり障りのないことであったり、服従するような言葉であったり。権力に対して弱いのはこういう人種であろう。のび太はなぜジャイアンに支配されるのであろう。今日のジャイアンは虫の居所が良くてのび太に対して暴力を振るわないかもしれない。または今日ののび太のアイデアジャイアンを満足させるものかもしれない。それなのにのび太はいつの時点でもジャイアンに支配されている。ううううむ。
追記:つまり、僕は権力の存在しない場所で生きたいと思っているのです。人間関係が苦手だと思う理由の一つが上記のようなもので、かなりの人間関係は多かれ少なかれ権力の関係である。それらを測るのが苦手。特に僕のスタンスとしては成長(経験)、努力、役得を望まないので、人に何かを言われることが本当に困る。全てを投げ捨てたくなる。成長とは権力の影響下にある言葉だ。本当の成長は自分だけがわかることだ。人が見てその成長を認めるのは、ただ単に自分の望みに合致した方向に進んだ時だけだ。

*1:横綱土俵入りでの太刀持ち、露払い。朝青龍の土俵入りでは同門の高見盛太刀持ちを、後輩の朝赤龍が露払いを受け持つ。