急にテキストサイトとしての話を書く。何らかのエクスキューズとして。僕がどういう形でテキストサイトからフェードアウトしていったか。これは回想になる。逃避だったテキストサイト。それが具体的な就職活動(僕にとっては公務員試験)という不安という形に結実したあたりからフェードアウトが始まったんだろうね。
不安というのは対策を必要とする。もちろん今でも日記を書くことは対策なんだけど、あまりに不安で他のことを見ることができなくなっているんだろうね。これは実生活の他の娯楽に対しても言える。娯楽という娯楽を不安感から完全に生活から駆逐してしまった。
働くことへの不安は、もちろんテキストサイトを始めた当初にもあった。あったけど、逃避していた。それに直面せざるを得なくなったころから、不安への対策がかなり強化されている。僕はこの恐怖が人にも増して強い。
仕事を続けるという世界に住むことへの不安が、結局は仕事を中心とする生活へ引き寄せる。僕は一生仕事を続けていくという想像が怖くて、今の仕事を一所懸命に続ける。雇われているということへの肯定があれば違うだろうけれども、否定があるから際限なく仕事に取り込まれる。
実は、日記を書いていくことで飯が食いたい、ということを思ったことはある。例えばそれへの諦めとか、上記が渾然一体としてフェードアウトがあった。
面白いもので、日記を書くという行為自体はいつのタイミングでも同じなのに、それが現れる形は完全に違う。
ところで雇われているということへの肯定があったとしても、僕がその時にどんな日記書いているかはわからない。