デンソーが中国生産、という記事があって、それ自体どうこうってことではないが、独占の意味が2つになってきているよなーと思った。例えばそこでデンソーが生産するディーゼル車の環境対応装置の世界シェアは、ボッシュが5割以上、デンソーが15%、残りがデルファイで3社が大半を占めるそうだ。
世界、ということでいうなら大変な寡占状態だと思うのです。でも、この3社にどんな特許や独自性があるのか、優位性があるのは確かでしょう。その優位性で例えば中国でその製品を大量に作ること、つまり、「地球にいいとされる環境対応装置」を大量に作ることが独占として世界に非効率性を与えるのでしょうか。
例えば中国がこういう企業の技術供与なしに、デンソーが中国で作る工場にかける労力と同じ労力で、技術水準の低いものを生産したとします。多分それより著しく少なく、粗悪なものができるだけでしょう。それは僕がやったとしても同じことです。
それならば、独占禁止法がいう「独占」とは一体なんだったのでしょうか。そこに競争がない場合、価格の設定はその一社が独占的に行い、また製品の向上なども行われる動因はありません。独占には弊害がある、というのは理解できます。
ところで独占というのは今でもできるものでしょうか。マイクロソフトが独占を終えたように見えた時代もあったけれども、彼らがそこに胡坐をかくのなら、まったく違うところからグーグル、アップル、リナックスなどがそれを脅かしている。現在では成功を囲い込むためには相当な力が必要で、それを成し遂げることは難しい。マイクロソフトがこの先も独占の利益を得続けることができるだろうか。
そういえば鉄鋼王アンドリュー・カーネギーと、おなじみビル・ゲイツが、同時代に占める富の量(%)は、カーネギーのほうが多かったらしい。ビルゲイツといえどもカーネギーに敵わないし、王侯貴族の時代に遡れば、カーネギーでさえ独占力において敵わない。
現在、独占をするための権力というものはどこから発生するのだろう。政商や財閥は、きっと政治力を使って独占力を得たのだろう。同じ商品を違う人が売る、という形態でこそ、独占というものの利益が出やすい。不作の時に米を買い占めてしまえば、他に米はない。そこで米騒動も起こりうる。
現代の独占には、そういう排他性がない。公共財的な部分が、商品の中に占める割合が大きいのだ。デンソーは中国で汎用部品を生産するのではないだろうし、開発にかかった公共的な投資(デンソーの製品を使う誰もが得ることができる利益)を回収するためには、生産(デンソーの商品を買った人だけが得る利益)を拡大したほうがいいのだ。
例えボッシュが世界シェア10割を取ったといえ、トヨタがハイブリッドで競合し、ホンダが燃料電池で競合するかもしれない。
と、いうことであれば、現在の独占というものをどう考えればいいか見えると思うし、逆に製品に含まれる価値をどう考えるかというのも見えると思う。