金曜日に有休取って3連休だった。で、下の本を読んでいて改めて思ったけど、僕にとっては「無職感」というのが非常に大事なんだ、ということ。思い出したというか。属してない感、と言い換えてもいいんだけど、例えガチガチの年功序列に属していたとしても、それは一日のうち8時間だけの話だろ、と。
あと危機感とかもね。ほんとに無職だった時の危機感、例えばそれって日本では「履歴書に穴が開く*1」ってことなんだけど、8時間以外はそういう状態でいたい。毎日雇われ直して、解雇されて、みたいな。それに生活のメインはこっち(8時間以外)だぞ、というのも含めて。
未だに毎日どうやって就職したらいいか、ってのを考えている感じだし、その感じを持ち続けたい。じゃあなんで公務員を続けてるのって言えばもう一つの目的が投資家になることだからだ。僕は平凡だし、平凡に生きたい。平凡に生きる上での職があれば願ったり叶ったりなのだけれど、それがないのであれば投資というのは人にとって平等だと思うのだ。(そういえば、給料という配当は億単位の投資に匹敵している。)
例えばインデックスファンド(市場の平均)のバイアンドホールド(買って持ち続ける)は年率6%の利益を上げる、ってのがあるならば、万人にとって平等だ。投資のプロは猿のダーツ投げに負ける。
てなわけで、僕は無職であることからくる就職をしたい気持ち、就職していることからくる投資家になりたい気持ちの2つを持っている。さらには投資家になって無職になるのが目標だったりもする。
だから仕事だけを唯一の価値だと考えない。例えば仕事で無駄なことをやることや仕組みが間違っていること、またはその無駄や間違いの中で苦しむことに腹が立つ。人生というのは楽しければいいのであって、何故わざわざママゴトの延長で苦しむ必要があるのだろう。誰もがわかっていることなのに。
仕事で苦しいとかきついとか忙しいとかストレスとかそういうのが全く許せない。無職で投資家を目指しているなら、仕事は楽しさを求めているだけだろう、とか。自分の立っている位置を理解し、世のため人のためになることをし、相手も自分も楽しくなる。ちょっと説明がしにくいけど、そういうことを思っています。

*1:フューチャリスト宣言にも書いてあった