フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

唐突だけど、僕は子供の頃、研究者になりたかった*1
旧来の日本に住む限りでは、僕はその夢からは完全に外れていくのだけれど、この本の語る「未来(もしくは現在)」の中ではそういう生き方は可能なのだ。また、いくら僕が全くそういったところと無縁に生きてきたとして、そういう志向とモチベーションがあれば研究者になることは今からでも可能で、現にある程度僕もそういう生き方をしていると言ってもいいと思う。レベルはともかく。
それが可能になったというのはまさに言語以来の衝撃であるインターネットによってだ。僕らはインターネットとどういう接し方をするにしろ、望む限りはかなりのことができる。初期を思い出すと面白いが、インターネットとはネットショッピングのことだった。
フューチャリストというのはその未来や希望への楽観主義的なエッセンスなのだ。
僕も今を生きる上で、この未来や希望への肯定こそが大事だと思っている。例えば僕の肯定は何度も書くけど「環境危機をあおってはいけない」で決定的になった。例えば自分が環境を良くしたいという思いを、同じように世界の多数の人も思うはずだ、という楽観はある意味で正しいと思う。
談合社会、という意味では僕のような公的部門で働く人間にとってはまさに直截的な話題だ。昨日の日記でも書いたけれども、公的部門で働く人間はそれを壊すためにこそ働こう、ってのが僕の思いだ。「未来はこうあるべき」ってのがきっと見えるはずだから(もしくはそれを考えて)、現在を生きよう、という。そこにあるのは絶望よりも希望だろう。
以前から、「市役所を遊園地に」、っていうのをモットーにしようとしている。市役所にある全ての仕組みが無意味になっているとしたら、極端な話、新しい形が遊園地でもいいはずだ、という。
そんなわけで僕の中でも未来というのはすごく大事。現状に不満を持つことがネガティブだと思われてしまうことがあってそこが僕には不審なんだけど、それは未来像がある限りは必ず通る道だと思うんだよな。そこを考えれば楽観的に含まれることだと僕は思っている。

*1:パブリックには学者と表明していて、実は漫画家になりたかったのだけれど