今の仕事って何気にがっつり民法なんですよね。今さら気付きました。
人の身分関係の異動に関すること、例えば出産、婚姻、死亡、等は実体を規定するのが民法で、形式を規定するのが戸籍法なんです。つまり民法が親で、戸籍法が子。ぐらいの感じでしょうか。
ってことは「公務員試験で民法を勉強したのに公務員になっても民法使う時ないなー」ってのが今さら使う時?もう忘れたってのにー。でもまあ逆に言えば法律を学ぶいい機会になりますね。戸籍六法っていう分厚い本があって、関係している法律が結構あるのだけれども、今までの道路に比べてちゃんと法律法律しているなあ、と思った。市民課がこんなに法律法律してるとは。
さて、戸籍に対しては批判的に見てますが、戸籍法ははっきり言って面白いです。負けたって感じ。データベース的なイメージで、すべての状態を網羅するための文字での記述が細かくて面白い。「ああ、そうすりゃ確かに全ての状態を受け止められるわ」って。こないだまで批判的に言ってることは「3代戸籍禁止で2代で考えるからややこしくなるんだろ」ってことだけど、それも「2代で考えるならこういうやり方で重複なく処理できますよ」って書いてあってこっちも「うーん、なるほど」と唸ってしまう。理念はともかく、できあがったものは確かに芸術品のようでもあるのですよ。つまり、戸籍ね。
今日も理念について付け足しで批判しとくけれども、昔の戸籍は夫婦別氏だったり、はたは妾なんかもあったようです。結婚すると女性が男性側の氏に変わるのは文化的なものだということになると思われていると思うけれども、意外と文化的な影響は弱いと思う。今は夫婦別氏でもないし、妾が文化的に容認されはしない。つまり、制度が文化を形作る面が大きい。そもそも昔は大半の人は氏なんてなかったんだし。戸籍法やその実体法である民法が変われば、意外と簡単に人の感覚は変わっていく気もしているのですよね。
市町村合併だってそういう側面があると思う。うちの市では割とすんなりと新市名(と言ってももとからある市名ですけれども)が受け入れられているんだよね。じゃあ何が受け入れられていないかと言うと、「不便になった」ってこと。人は実効のないことについて物事が変わった場合はすぐに変わった後の状態を受け入れると思うのです。ただ、今まで「あったこと」が「なくなる」ことに対する拒絶感はすごく強い。合併しなきゃよかったね、という人だって簡単に新市名で自分の住所を書いてしまう。だとするとその人にとっての理想の行政界は一体どこになるのだろう。
まあそれは余談として、制度が変わることは別にいいと思うんですけどねー。