それに追加してこちらもメモなのだけれど、昨日も同じように水路に関するお話があって、現場へ見に行ったのだけれど、問題が特定できなかった。電話口で名乗って頂くのは、市民の方にはすごく抵抗があるようで、僕もそこまでするのも気重なので少し躊躇して無理強いしなかった。これは忘れていた僕への自戒なのだが、「場所がわからないと困りますので、お名前と連絡先を教えてください」こういう言い方をするので次回忘れないように→僕。
多分。多分なのだけれど、訴えて名乗らないメンタリティには、それがやってしかるべきもの、いやもっと言うと、例えば道路水路は正常に使えて然るべきもの、という考え方があるだろう。これは行政から見ると逆に、全てが全て管理できている、もしくは通常通り使えるわけではないですよ、という状態に対してのことなんですよ。ここの捉え方の違いかと。
だから、言われれば状態を回復することにやぶさかではないけれども、場所だって把握はできていないし、何より訴えがあった「そこ」を重点的にもしくは先に回復させるのであるから、ある意味で特別扱いでもあるってことです。なぜそういう特別扱いがあるかというと、管理コストを多少そこに住んでいる方に振ってしまっているような状態であることと、訴えがあった=状態が酷い、と仮定して、その酷い順から片付けていこう、という理屈だから。
そうであるならば、やはり市民の方にも責任を持ってもらってしかるべきかな、と。責任っつっても名乗ってもらうこととその問題の解決まで見知ってもらうことぐらいですけどね。今回のことでは名前を聞けなかった僕が悪いんですが(こういう認識を持つことで次回からは名前を聞き落とさないようにするために書いています)、匿名状態では訴えに力がない。①普段管理*1していること、②自分が状態を回復して欲しいこと、この2点が状態回復への訴えが力を持つ源でしょう。
だからと言って、声の大きい人だけが得をする仕組だってんじゃ困るんでしょうけども。その代わりの仕組は今の段階では予想もつかないなあ。探すべきではあるのでしょうが。
で、結局今回の電話のケースは多分、問題が特定できなかったのでお蔵入りになりそうです。失敗したなあ・・・。

*1:ただ見ているだけでもいい