今、盛んに文書を廃棄している。永久保存とされている文書でも、課にまたがる事業などで両課によって保存されている文書などがあり、副本がうちの課で保管されている場合などはどんどん廃棄できる。廊下に山積みになっている書庫へ詰めるための段ボール箱が、書庫が満杯であるために行き場がない。そんなわけで過去や現在の書類を精査してスペースを作っているのである。5mほどの廊下に4段ほどに山積みだった段ボール箱を、現在1.5段までに減らしたが、考えてみればあと3ヶ月もしないうちにまた大量の段ボール箱が発生するのである。年度末の置き換えで。怖い話だ。
今の段階で1日に1箱ペースで段ボール箱を減らせている感じだ。頭の中で計算して、完全に減らせる段ボールが4箱ぐらい。その他は中身を精査したり詰めなおしたりで数個減らせるか、って感じか。書庫に100箱以上はうちの係で保存している箱がある。例えばそれを1回全部出して詰めなおせば、数個は減るだろうね。それをやるのは労多くして、だけど。
ファイリング担当者の庁内説明会で、「永年保存という書類はない。法的文書は廃棄年限が決まっているが、30年を超える保存年限のものは、めんどくさいので永年保存として扱っていい。ということで永年になっている。」ということを聞いて、ハッと目から鱗が落ちた。例えば間違って永年の書類を捨ててしまってもいいんだ!永年保存であってもそれがきちんとファイルされていなければ存在しないのと同じこと(見つからないから)。ちゃんとファイルされて所在がわかっているものを捨てるのはマズイが、ファイルされていない、存在していたかわからないものは例え何十年と保存するべきものであっても、どうせ今まで10何年も参照されず適当なとこに詰めてあっただけなので捨ててしまってほとぼりが冷めるのを待てばいいではなかろうか。
そんなわけで僕は今文書の廃棄を活発に行っているわけだけれども、僕が毎日1箱ぐらい文書を捨てても誰もさしあたって困った素振りを見せない。これは本来おかしい。必要以上に文書を捨てて行けば、行政活動を行っている人は困って然るべきだ。でも困っても何とかなるから捨てるのだ。全体で行けばそこで多少困ることによってその背後にあった大量の書類需要をなかったことにできる。今僕が書類を捨てていることで誰も困っていないということは、まだまだ僕の捨て方が甘いということだ。嫌われるぐらいに捨ててもいいと思えてきた。ちゃんとした基準がなければ、文書はゴミ屋敷の住人みたいにたまる。
正直僕の能力ではそんなに書類を管理できないので、どんどん捨てたらええねん。見つけてこその書類。