今日は1日オナニーができないことにイライラして日記が書けなかったのですが、先程書けるようになりました。ということで振り返りましょう今日のこと。
本屋へ車で。帰りに「どうして俺は他人を車に乗せるのが嫌なのか?」ということを考えた。見渡す限りの田んぼの真ん中で、見渡す限りに車がいないので一旦停止を無視したんだけど、ああ、そういうことかも知れんなー、と。
マイルール、自己ルール。憲法にだって、「解釈」ってのがあるじゃん。赤信号はみんなで渡れば怖くないし「うそも最後までつきとおせば本当になるさ」と球道くんにも書いてあります。実際のとこ、そういう自分内ローカルルールって、人と接していくことによって、共有化されてくものなんですよね。そこでぶつかったりスルーしたりして、なんとか他人と競合しない形での自己ローカルルールが形成される、っていう。
でもそういう他人と感覚を合わせる作業って大変ですよね。僕は特に、日常で友人付合いがないから。多少とも感覚を付き合わせるっていう経験がないわけで。
そりゃあ横に上司乗せるの嫌っすわ。運転が「荒い」「弱気」「アンバランス」。あんまり理解できないもんだから、行くべき時にいかないで、行くべきでない時に見切り発車します。んで何か言われると僕の性格上、まず反発するんで気持ちが収まりません。そういうわけでどんどんそういうのをやらなくなる。やっても受け入れなくなる。
こういうのって一般的な話でもそうですよね。感覚の擦り合わせ。めんどうです。
例えば僕は手持ちのチョコチップスティックをその場にいる友人にシェアしないばっかりに「ケチ」呼ばわりされました。確かに僕はケチだけど、そこがケチって呼ばれる領域だとはしらなかった。だって、僕は人より少なく人に分け、人より少なく人からあずかるだけだからね。ケチってのは人にあげないのに貰いまくる人かと思ってたよ。しかも昨日の僕は実際には大盤振る舞いだった。なぜなら昼飯のメインがチョコチップスティックだったのだから(昼飯のメインが弁当な人は、それを他人にシェアしない)。
僕はチョコチップクッキーの配分を自分用に計算して買ったのだから、そこを再配分していくことには積極的にはできない。だって他人からの施しを計算に入れることは難しいのだし。結局4本ぐらいは他人にあげることになったのだが、他に僕の昼飯は100円のパンだけしかなかったのだから、それは搾取ではないのかね?これもまあチョコチップスティックはおやつであるという他人の感覚と、主食であるという僕の感覚が合わなかったための出来事である。っていうかこれぐらいでケチ呼ばわりされるなら人付き合いはいらんなあと思った。っていうと「最近付き合い悪いね」って言われるようになる。