僕はほんと怒りが強くていかんな。何かにつけて怒りが頂点に達してばかり。今日は「背中なんかついてるよ」って言われて作業着の背中をみたら洗剤の粉がダマになって付着!付着!付着!プッチーン!にゃああああめんなああああーー!!!
と、そこは職場ですから、不機嫌な顔で我慢しときましたけど。
昨日も考えたんだけど、シェアについて。今日先輩から飴貰ったんだけど、ああ、確かに僕は飴やチョコなどの配ることが可能なアイテムを持ち歩かないな、と。だから結果的には人から貰ってばっかりになる。旅行もいかないからお土産も買わないし。そういうわけで、何かの都合でチョコ、パン、飴、ガムなどの配布可能なアイテムを所有している時には何割減っていう感じで考えとかないといかんのだなー。普段貰いっぱなしな分(くれとは言ってないからつい勘違いしちゃうんだけど、貰ってることにはかわりないし)、自分が持っている数少ない機会に激貰われすることも甘受すべきことなのだ。
でもまあシェアと言っても空間的に他人とシェアすることもあるだろうけど、時間的に自分とシェアすることもあってもいいんじゃないかとは思うけど。どちらも保険としての用をなしてると思うし。ってこんなこと言ってるから僕は一般社会で孤立していくのだ。
考えたのだけど、僕あんまり「楽しい」って感覚がないのかもしれないなあ。「楽」ってのもない。喜怒哀楽の楽がなくて怒ばっかり。遊びをせんとや生まれけむ、ではないのだ。
達成には喜びはあるけど、楽しさはない。結局目的に走っちゃうのね。だから過程にある「楽」ってのもあんま気にならない。人生楽すぎるけど、それをプラスにとらえたことはないなあ。
合併を控えているというのに仕事がまったくありません!ない!ないの!
やあ、しかし、楽。楽すぎるというのはつらいに変化する。だからなんか楽しさ、楽さの良さってのがイマイチ理解できなくて。僕の人生は生まれてから今までずっと温かったなぁ。なんか何言ってんのかよくわかんなくなってきた。
ついでにもう1つ考えたこと。僕はまあ貯金をしているのだけど、それについて先輩が、「いいなあ、お金たくさんあって」と。いや、お金は同じだよ。むしろあなたのほうがもらってるわけで。それは使用法の話。僕がお金を持っているのは使ってないからなの。つまり、使えないという意味で、あなたと私は同じなの。こういうアホなこと言われると死んでくれって思います。「俺が困ったら助けてね」だから僕は将来の自分を助けるために時間的にシェアしてるんです。お、まとまったね。