悟りを開いたわけでも隠遁したわけでもないが、行事から遠くなりました。
具体的に言うと、年賀状を書かなくなって久しい。それで不都合もないので、プロレスラーが「年賀状〜ハッスルハッスル!」ってやってるのも見ていて寒々しいだけである。(今変換したら「発する発する」と出たので意味がわかった。なるほど、郵政公社め。)
そういう慣習に関するようなことって自分が参加しなくなっても個人的には実はさして困ることがなかったりする。でもそういうバカ騒ぎがなくなれば困る人もいる。一生懸命PRしている郵政公社がその筆頭だろうし、筆まめ売ってるとこやプリンターの会社とかもそうでしょうね。(一般の人がプリンターを使うのはこの時期だけだったりする。電気屋やってる時にそういう人のなんと多かったことか。)
フリーライダー(ただ乗り)ってほどでもないんでしょうけどね。CDを買わなくなったこともそれに近いことかもしれない。
実はこういう慣習に参加しなくなって困るのは、社会に参加しづらくなることかもしれない。世の中には慣習が溢れていて、社会に参加するというのは慣習に参加するのと同義かもしれないからだ。
例えば年を越すという感覚がわからない。わからなければ12月に会った人と1月にもう1回会った時の違いがわからない。
平たく言うとセンスの問題ですね。そういう社会的センスがどんどん失われていきます。古き良きって全然わかりません。