飲んだ後の整理をもう少し。それでも皆さん、仕事ができる、ってのが理想らしく、でもその理想は僕からしたらあんまり賛同したくないようなものだった。ってまあある個人が言ってただけの話かもしれんが。
「ちゃらんぽらんだけど、仕事ができる人」が理想らしい。ちゅうーとはんぱやなー!(違う)
(それからそれを言った人が、「役場では話せる人がほんと少ない。○○さんと■■さんと、…と、…と(全部で5、6人もいたのに!)」、って3人で会話してて俺以外の1人は入ってたのに、俺めっちゃスルーされたよ!確かに話してないけど!気ぃ悪いなオイ!それなら俺がいない時にプリーズ!)
僕別に「ちゃらんぽらん」ていう枕詞いらんと思うんすけどね。「仕事ができる人」、で過不足ねーじゃん。つまりはこの「ちゃらんぽらん」に過剰なイメージを添付してる。そういうのが僕にはたまらんヘコーですね。何それ。
「ツッパってるけど根は優しい」「ふざけてからかってるけど実は好き」「勉強できないけど賢い」
そうだ、僕は「賢い」という言葉に拒否反応があるんだった。勉強ができるっていうとマイナスイメージで、賢いっていうとプラスイメージっていうような。僕は賢いとか知恵があるとかそういう人じゃないから腹が立つんですよね。不器用で視界が狭かろうが別にいいじゃないか。応用?きかねーよ!
勉強ができるというのは事務の処理能力があるということでいいと思うんだが。そら知恵や賢さにも憧れますが、そんなんセンスやん。3つある選択肢から1つを選べ。ギャンブルとシックスセンス。情報処理。
つまりは僕がいいたいのはガリガリ勉強することによって、普通の人がファインプレーで取るような球をいかにも普通に取りたいってことだ!ファインプレーを感じさせないのがいい選手!ガリガリ賛成!ガリガリ大学、合格ー!!!