酒の席の無駄に熱い話、覚めてみりゃバカじゃねえかと思う。「今やる仕事がないなら、昔の工事の設計書を手書きで書いたりすればいいんだよ。機械でやっててもダメ。覚えない。定時は5時だけど、別にやることなければ9時まで自分の時間だと思って勉強すればいい。残業もつければいい」などと27歳の先輩に説教?されましたけど、まあ反論したい気持ちを抑え、「はい、…はい、…」とやっていたらタイムオーバー。ちぇ、論破できそうな気がしたのになあ。(まあ問題は内容ではなく、アドバイスしているという自分素敵ってことだからね。僕がアドバイスに従うと向こうにとっては最高でしょう。)
ちげー、っしょ。仕事がないならさっさと帰るほうがいいって。勤務時間の中で勉強するならまだしも。残業して勉強って。
だいたい僕は土木の人じゃないんで、「設計書の手書き」の必要性がわからない。これから世の積算はユニットプライス方式になっていき、むしろ事務の人は設計積算を覚える時間が無駄、って方向だろうに。積上げ方式なんて別に勉強にならんじゃないすか。側溝を作るのに土木世話役が0.1人、普通作業員が0.5人とか全然身のある数字じゃない。そんなことより施工法を勉強したり規格を勉強したほうがマシではないのかね。
(知ってる方いたらアドバイスください。手書きの必要性とか。)
あれですよ、「できあがった機能を買いとる」っていう考え方だってできてきてんのに。こんなに必死に積上げるの日本だけとかどっかで読んだような。つまりは現行方式だと行政の言う材料しか使えないから新技術の導入なんかもほとんどない。すげー保守的で済んじゃうんすよね。だいたい積算なんて入札のためのものじゃないか。技術のためのものじゃない。

あと、「業者に舐められないように」て。知識ありゃ舐められないてか。「同僚」だから舐められるんだよなあ。こっちが客なら舐められることもないわけですから。料理屋なら客は「うまい」「まずい」じゃん。客が舐められることないと思うがなあ。
だから僕らに求められるのは「吟味力」のほうでしょう。それがこちらの求める「機能」レベルに達しているかどうか。
なんでもかんでも世の中はブラックボックス化している。いい悪いの問題ではなく。土木だってブラックボックス化してきてるはずっすよ。まあまだ追えそうではあるけど。
で、ブラックボックスだから、客が舐められるとでも?車やパソコンは素人が変なもの掴まされる?
そうじゃねえ、使い方を知ってるかどうかだろ。つまりは道路なら「適切な場所に適切な道路を敷く」方が大事だろ?
んでついでに僕に求められていることは土木より事務だと思うんすよ。来年合併すれば僕が土木の技師になることはないと思うから。だって、合併前年の事務職で採用されてんですよ。俺を技師にするぐらいなら来年技師取れよ、って話。何も技師の基礎もないのに、こんなのを技師にするのは意味がなさすぎ。んで上記の話は全部来年は技師がやるから関係ナッシン。
勉強するのは無駄じゃないっていうのは骨までの話。手書き信仰はちょっと趣味の範疇かと。胃の中身を勉強するようなもん。明日には例のあれになっている。
まあ説教(アドバイス)してた本人が今日休んでやがるけどな。自分が有休消費しまくって残業しろたあ本末転倒よ。