そういやあうちの町長が入札前に関係する職員が町長室に集まって入札準備をしている時に、「決断ができる人は100人に1人、いや、0.1人」「日本人の9割は隣を気にして横並び(で家の乗った土地を売れない)」「(世界が100人の村だったら1人はゲイツ:ってことは町長は言ってないけども)ゲイツのお陰で私達は幸せに暮らしている」という論を展開されていた。えー。なんかゲイツがいないとウィンドウズ的なパソコンの享受はできなかったって言い方だったけどジョブズでもリナックスの人でもいいじゃんねえ。
まあ彼らも100人のうちの0.1%のゲイツ寄りの人ってことだとは思うけどね。でも代替可能なんだよ。代替可能ってことは単なる割合なんだから「アメリカは日本とは違って飛び級でそういう人を作る仕組がある」とかそゆこと言ってもしょうがない気がするなあ。
指導者、リーダー、経営者が一部のセンスや決断力ある人に委ねられてしかるべきはわかるけど、なんか創業神話みたいなのは眉唾モノで困ります。立場が人を作るってこともあるだろうし、エントロピー増大の故にゲイツはウィンドウズを作ったでもいいと思うんだけどなあ。っていうかパクッたんだっけ?(僕もよく知らない)
町長も町長である故に町長的(役場職員が100人いれば1人は町長である。確かに。)になったんだし、どんな零細市町村にも首長はいるのだし、立場のことを考えてもいいんじゃないかな。公共を担う人がそんな「千尋の谷に突き落とす萌え」では困ります。矛盾、だと思う。「構造改革萌え」もよくわからん。でも道路は作りたい。えー。
微視的よりも巨視的に。一つ一つの改革を積み重ねるより、全体としてどうなの?もあるんでないかな。いや、僕の言うことじゃないけども。