今、司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んでいるわけなのだが、実際僕は商品経済というものをあまり知らないままに育ってしまったのだろうな、という気がする。
子供の頃、近所にお小遣いを握りしめて買いに行くようなところは徒歩では遠すぎた。徒歩で行ける範囲にある唯一のお金を使える場所はバス停の自販機だったが、子供の頃の僕は何故なのかはわからないがそこでジュースなど買ったことはなく、10円玉を入れてはギザ10に変える遊びに熱中していた。犯罪チックだ。
お小遣いをもらい始めたのはいつからだったろう。貯めようとせずにも自然と貯まる按配で、ゲームが欲しくて貯めた気はするのだが、お小遣いの習慣もたまに途切れたりで、お金を貯めて使う快感も完全に拾得したわけでもないと思う。
小学校ぐらいまではその程度で、お菓子やオモチャを買ってもらうにはいい子にしていい成績を取りなさいとか、漫画を買うなら活字の本も抱き合わせで買いなさいとか、今考えると補助金行政(ヒモ付き)のようなことしかしていなかった気もする。割と財政的にも放漫で、勉強にいいとなればあんまり値段に制限されたことはないが、普段は10円のお菓子すら買えない有様。こんな僕が真面目に勉強したかっていうと、するわきゃないっすな。たいていの補助金がそうでしょう。
だから結局公的なとこで生きてるのに向いてたのかも知れず、商売の損、儲け、そういうのが本質的には理解できてるのかわからない。
脇道だけど、RPGでも金はケチってしまっていた。レベル上げは魔法(これも商売っぽいよな)なしで進める余裕があるところまで上げる。攻撃魔法は計算ができないから使わず、回復魔法のみ。ボスを倒してもMPは8割ぐらい残っていたりする。
設備投資が基本的に苦手なんですよね。あとは「一時的な優位状態」。使いこなせない。マリオのスター。
立ち回りの器用さって人生のどこかの段階で手に入れるのだろうけど、うちの周りはあまり人の多いところじゃなかったのであまり育っていない。忍者ハットリ君のチクワが取れずに鉄アレイに当たって死ぬ。あれもうまく立ち回れないからだと言えなくもない。
農民っぽいのかも知れない。いや、うちは工なのかな。士ではないけど。
工だとしたら、残念だけど、手に職がないよ。