日本はハンコ社会で、どうもハンコをわざとわけのわからん図柄にするらしいですね。でもそういうのだって昨今のコピー技術の前ではぬかに釘って感じで俺にとってはどうでもいい。
それを勝手に親が「実印」とか言って読めないようなハンコを用意しやがった。俺はこれから社会人生活を始めるに当たって、せめて自分の把握できる範囲でやっていきたいと思っているのに、なんだこの自分でも読めないハンコは。
自分でハンコを捺す時に納得できないようなハンコははっきり言って使いたくない。すごくどうでもいいことだけど本当に腹が立つ。
シンプルから始めて社会の慣習、荒波、そういったものに洗われて、何かしら新しく追加していく、という図式なら納得できるんだ。それを勝手に最初から「これが慣習だから」と先取したあるかどうかもわからないものを与えられるのは本当に腹が立つ。
車にしたってそうだ。勝手に「俺が使いそうだから」という理由で余計に1つ買ってやがって、俺には「給料を貯めて苦労して車を買う」とか「頑張って車のローン完済」とか「経済的に車を選ぶ」という楽しみがなかった。バカげてる。
そういえば中学入学するに当たって、親にドライヤーをかけられ、髪を上げてったら同級生に笑われた。今回の読めないハンコだって似たようなもんだぜ、と思う。つくづく嫌になった。