長男というストーリーを生きる

長男のことについて。いろいろ書いてきたように、僕は田舎に住む長男として(またそれを有形無形で保護されている地方公務員として)宿命付けられている。
不動産の相続と管理、先祖供養の継続、地元行事への参加、等が求められている。そもそもそんなものは迷信だ!っつって自己実現できればよかったのだけど、就職ができなかったので帰ってくることになった。
そもそも地元での就職というのは頭の奥に染み付いていたのだろう。
長男に求められていることに意味はない。誰がやってもいいし、誰もやらなくてもいい。都会で就職してそんなものは捨てちまってもいい。
ところが長男は長男として育っている。これが問題だ。
田舎の家の場合は特に厄介で、うちも少なくとも江戸時代から続いているらしく、それは基本的には長男が相続してきたものだっただろう。続いているものを、自分が途絶えさせる、ということの気持ち悪さ。
義務、というか。とにかく親の兄弟にとってはうちが実家なので、帰ることができるように家を保つ義務がある。それがタダで家を手に入れた権利に対する義務だ。僕だってそれで家を手に入れることになるだろうが、逆に言えば他に欲しい人がいないのにもらうってのはババを引くようなものでもある。
何というか、核家族ってのはたくさんいるだろうけど、このように旧態依然のイエってのをストーリーとして背負っている長男ってのもたくさんいると思うんだよね。継続が重視される社会で、自分だけが合理的に生きられるのか。
そのような長男たちを、成仏させるストーリーがあってもいいと思うんだよね。本当の意味でイエを解体するというか、先祖供養をする人を開放させる、というか。
墓守娘もそうだけど、イエを守っている長女ってのもまたたくさんいると思うんだ。婿養子をとんなきゃなんねーとか、両親の面倒を見にゃなんねーとか。そういうものが現世に生きる人間を縛るってのは本末転倒だね。
というわけで、長女の夫としてマスオさんをやっているし、そのうちに長男として生きる予定でもある。何というか、ストーリーを成仏させるために。