迷走する両立支援

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

自分が当事者かと思ってたんですが、少し遠い。想像になってしまう。ところで公務員というか僕はこういう本に出てくる一般的な労働者とはかなり違う。都会と田舎の違いかな、と思うんですけれども。
大雑把に言うと怒られるでしょうけど、やっぱり田舎の退勤ラッシュって5時から6時ですし、スキルだって求められている人は少ないと思うっていうか、僕がそうです。
そんな中で、スキルの蓄積が求められる労働者の姿ってのは、僕の屈折した挫折感情を呼び起こすものでもあるし(TOKYOってスゲー!)想像が難しい。
それでも労働者の端くれとして言わば共闘すべきところがある。
特に思うのが労働に対する考え方や、男女差別意識。労働を最大の善とする世界では、どのように支援されても、善以外のことをする人は悪になる。そして男女が平等でないというのはその反映であり、また固定化しようとするものである。
車の両輪と言われている少子化対策(両立支援)と男女共同参画(男女平等)が、少子化対策(両立支援)ばっかりが回っちゃって、男女共同参画(男女平等)が回ってないのが迷走する理由だ。両輪の片側が止まってりゃ、そうなる。
ところで育休パパに関してだけど、矛盾を抱えた存在だ。各職場の一人目は称賛されるが、二人目はその果実を得られない。そんなわけで本当に職場内で次から次に続いていくのか?そうでなければその知見だって蓄積されないし、文化も継承されない。男の育休が義務化されても、そういう態度が継承されていくかは微妙だと思う。取得率1%の十字架、というか、2人目が出ないってことは、職場が抱えている大問題だろう。一人目が厚遇され、それでアリバイになってしまう。うまく表現するのが難しいが…。
早くその段階を越して、次の段階へ行きたいところだ。