狂言回し

果たして僕は誰か。昨日行ってきた「多文化共生の地域づくりと市民活動の役割」について考える。そこの場でもトピックになったが、「多文化共生」って一体なんなんだ、と。バズワードなのか、と。定義もあいまいだし、それぞれ使いやすいから使ってる。辞書にもwikipediaにもない。誰かがそういうキーワードとして起こしてこそ繋がる言葉になるのになあ。ちなみに同じ場で「外国人集住都市会議」が自明の言葉として使われていたけれども、はてなキーワードとして登録したのは僕です。だから何、っていうと、結局繋がりの広がりは弱いってことを実感しただけなんだけど。いや、多少は繋がるよ。
さて、多文化共生はどうでもいいので、「地域づくり」と「市民活動」です。これはつまり僕にとってはこういう日記だろうと思います。いや、生活です。市民としての生活です。誰かと友達になることです。その意味では浜松は今実験の中にいます。当日配布された資料の中にかなり興味深いものがありました。一つは「ブラジル人大学生と高校生との座談会」という冊子です。浜松在住の3人の在日ブラジル人大学生と浜松在住の8人の在日ブラジル人高校生の座談会を文字にしたものです。当日はその様子がDVDとして上映されたのですが、本当に面白かった。すでに彼らは在日コリアンを形容するのと同じ「在日」で形容されるべきものである。日本語が母語の日本人の顔をしたブラジル国籍者。これはつまり日本はまた在日○○と対面することになる、ということだ。果たして在日コリアンの歴史はどうなったのか。その問題に返る日が来たのである。今まで避けていた移民の問題である。
もう一つの資料は、反対にポルトガル語で行われたものを活字にしたものだ。「ポルトガル語でのディベート 浜松市におけるブラジル人の生活」。アンジェロ・イシ氏(ブラジル人の大学准教授)が「ホームラン」だと形容したほどのものである。浜松近郊のブラジル人が80人集まり、討論する。これは主に教育の問題についてだ。そこでは日本からブラジルへの移民の歴史を背負った日系ブラジル人が、また移民として日本にやってきたことが間接的に明らかになっている。アンジェロ氏は先輩として在日コリアンを想定している。日本には直近の過去の移民は在日コリアンが主だし、最近の移民は隠されているとはいえ南米の日系人達が明らかに該当している。外国人問題、または多文化共生*1という曖昧な問題とはまた違う、移民の問題が浜松に起こっていることなのだ。
研修生や外国人妻などのアジアからの外国人は移民の周辺の問題だ。この土台があってこそアジアからの移民も具体化してくるだろう。
さて、現状に対して我々はどう感じているか。ここが本当の問題なのだ。こういった会では言葉は悪いがしばし左寄りの考え方が忍び込んでくる。お題目は正しいのだが、どう予算化するのだ。保護主義の忍び寄る世界各国の中で、右寄りの愛国者を、左寄りの愛の言霊でどれだけ感化できるというのだろう。そこが問題だ。
浜松には現実の問題がある。困窮者がいる。それこそが左と右を中和できる気がする。現実主義というものがどうすれば台頭できるのか、と。
一説には浜松の日系ブラジル人の5割が解雇されているともいう。しかし彼らの多くは世界の移民と同じく日本に残ることを選択したようなのだ。国益を重視する愛国者は一体どう考える?問題には正確な理解が必要だ。

*1:このへんでは多文化っていうより日本とブラジルなんだよね