某所からの転載

年功序列と終身雇用の「昭和的価値観」から転職市場のある「平成的価値観」へ。それらの嚆矢となりうる事例とこれからすべきこと。再確認したことが色々あった。

やはり僕は本当は転職したい。現実的な話ではないけれども。公務員という働き方は非常に「昭和的」であり、閉塞感が強い。年功序列と終身雇用がなくなり、官と民が回転ドアで繋がれる時代が来れば公務員をやるのもいいだろうけれども、今こういう働き方をすることが食以外の面で何の役に立つだろう。

ついでに言えば僕は職員組合的な考えが本当に肌に合わなくて、公務員というのは手当ても厚遇もなくなって、簡単に首を切られるようになって欲しいと思っているのです。僕の首だって切ってくれればいい。色々な手当ても誤解を生むからいらない。

こうして各所の労働組合が守ってきた既得権が、就職前の僕ら若者を苦しめていたのだ。就職活動から落伍し、フリーターになって将来へ希望を持てなくなっていた当時の僕のためにも、労働者の権利は守られるべきではない、と現在の僕は思うのだ。簡単に言うと高齢者の首を切って若者を2人雇えよ、と。若者の立場からはそういう暴論になるけど、「雇用を守れ!」と言っていた人たちだって雇用されていたかも知れない若者の首を、実質的に切っていたのと同じことなんだよね。しかも当時就職できなかった人たちは、もう就職するためのレールがない。公務員という職がなければ僕自身が今頃フリーター的な生き方をしていたと思う。

人間は得られるかも知れない1万円と、失うかも知れない1万円を同等に考えることができない。人は得られるかも知れない1万円を軽く考え、失うかも知れない1万円をより重く考えるのだ(1万円を得られる嬉しさより、1万円を失う苦痛のほうが大きい、ということ。例えば道で1万円を拾うか落とすかで考えた場合に。)。しかし、絶対値としては同じ1万円なので、本来は同じように考えなければいけない。中高年の失うかも知れない雇用を心配するあまり、若者の得られるかも知れない雇用は失われた。本来はどちらも同じく大切なものだったはずだ。

そんなわけで僕自身は消極的ながら公務員でなくなってもいいように色々考えたりしているわけなんですけどね、それでも具体的な話がない限り、不安は不安ですよね。転職市場ができれば公務員が民間企業で働いてまた公務員になるって生き方もいいと思うんだけど、今のところそんな感じではないので公務員を辞めたらもう公務員には戻れないだろう。

アウトサイダーの視点が必要、という意味で僕ら若者には他の味方が必要だろうと思う。ちょっと無理やり気味に繋げてみると、外国人の視点というものも必要なのではないか。彼らは少なくとも日本人よりも若者の人口構成が多いはず(違うかも知れない要因もあるか)。そうでなくても既得権を握っている日本人の高齢者の票を相対的に薄める効果が少しはあるかもしれない。そういうところに外国人参政権の意義があってもいい。ただ、若者と外国人はお互いに職を奪い合う存在だからなあ・・・。