自治体格差が国を滅ぼす  (集英社新書)

自治体格差が国を滅ぼす (集英社新書)

9つの自治体の事例紹介と新潟県に関する考察とまとめ少し。
読んでいて、地方自治体には住民の希望を吸い上げる仕組みがあるのだろうかと気になった。市の中枢には企画系の部署があると思うけれども、たかだかそこの部署の人間が考えたことなどが、果たして住民の希望と合致しているのか。また、土木系の部署は基本的にそこだけで完結しているのだけれども、住民の希望をどうやって吸い上げていたかと言うと自己申告や議員を通して、または地区長からというのが一般である。基本的には地元の代表である地区長が市に対して要望することによってそれを採択するかどうか、ということから市の仕事は始まる。それならばその地区長なりその地区長の元に集約される意見はどういうものかというものが重要である。
地区の中では会合が開かれている。まあ本と関係ないので端折るけれども、出席者は基本的には高齢者ばっかりなわけで、それらを集約したものが本当に地元の総意かと言えば疑問。さらにこの方法では地元を越えた意見というのは吸い上げることができず、地元同士の利害衝突といったものの調整が行政の仕事になってしまう。
最後にちらっと情報公開の必要性が触れられていて、まずは本当に情報公開こそが一番大事だろうと思う。次はその情報を誰がどう活用していくかについてだけれども、現行の議員制度ってのはちょっと違う気がする。その辺も端折るけれども、議員はフルタイムのロビー活動に忙しく、本来の目的に合致していないと感じる。議員が条例を作れるようになったり、市の行政に住民の意見が届いて、それらをパートタイムの議員が議決というかたちで吟味できるようになればいいと思う。
あと公共事業についてはこの本でもたびたび触れられているが、無駄な公共事業ってのは本当に不思議だ。1990年代にそんな公共事業がバンバン行われていたというのなら、この地方でも道路がもっと良くなっているべきなのに、まったくもって悪いままというのであれば一体どこで何が行われていたのだろう。
道路が悪いという地元の不満は発生しうるし、それならば事業の取捨選択の基準なり意思決定なり費用対効果なりがもっとオープンにされる必要がある。住民が不満を言うときに、費用と効果が比べられるなら、それをどのようにすべきか判断できると思うから。土木に行政側から携わった人間でもそういうのはよくわからんのです。