国家は、いらない (Yosensha Paperbacks)

国家は、いらない (Yosensha Paperbacks)

非常に面白く読みました。

前作のリバタリアン宣言を読んでから僕も心情的には「リバタリアン無政府主義者)」であり、政府や地方公共団体の存在意義を疑っている。

法律家と経済学者は正反対の考えを持つ。法務省の英語表記がミニストリーオブジャスティス(正義の省とでもなるのでしょうか)であるように、「法」は正義を考える。あるべき状態を考え、正義が正解を導くと考える。それに対して経済学者は市場を重視し、市場(神の見えざる手、需要と供給)が正解を導くと考える。

これは色々な分野の対立軸でもあるなぁ。例えばフェアトレード自由貿易って対立しますよね。僕は平等を求める政策は社会主義になると思う。それが社会主義の求めたものなのだから。福祉政策は政治家や官僚や僕達公務員の食のためにあるのです。参ったね。

よく言われる護送船団とその他の関係。政府が保護して守った産業が育たずに、放っておいた自動車産業が育った。農業自給率にこだわるあまりに、米には市場価格の8倍もの関税をかけている。その差額は我々消費者の損害である上に、農業の効率化や改革は進まない。米の値段が1/8であるのなら、農家というのは実質は税金のみによって生活していることになる。それが保護として必要だということで。

色々な分野で、行政の保護や支援が必要だ、という声が挙がる。僕は結局その正解を誰が決めるのだ?と思う。正解、つまり、どれだけの保護が支援が必要で、その政策が他の政策よりどれだけ重視されるべきなのか。だって、国債発行してますけど、借金を背負う将来世代がどれだけ今の世代にその政策をやって欲しいかなんてどうやって計算できるのか。

それはともかく、どうやれば国家の関与って減るんでしょうね。時代なのかな。