「産業からみる多文化共生」という公開講座を聞いてきた。とても興味深かった。ちょっと色々聞いたのでなかなか自分の中でもまとめ切れない。

今回の講座では講師の方は「外国人」のことを「日系人」と言っていた。概ねそれは正しい。中部地方の外国人集住都市はイコール日系人集住都市である。地方産業都市であり、単一の考えに支配されている保守的で均一な風土であり、故にこうした新しい問題に対する問題解決能力がない。

それに対して従来からの大都市はすでに雑多な人間が集まっており、外国人以上に違う考えを持った人もおり、地域には考えの相違に対する問題解決能力がある。

これから遠州地方というのは外国人との違う考え方に対応するために苦労することになるのだろう。しかし逆に言えばこれはチャンスであり、僕はもっと変人になることができるのだ(価値観の多様化)。みんなちがって、みんないい。

ともかく、日系人の問題は僕たちが思っているよりも大きな社会問題である。そもそも「さあ行かう一家をあげて南米へ」と大々的に累計25万人?がブラジルへ移住したものの日本からの援助も乏しく現地での現実と日本での宣伝との食い違いに苦労したという歴史がある。現在ブラジルに150万人?の日系人がいて、彼らのうち少なくない数が日本に「デカセギ」に来るようになった。ある意味では2度も政策の犠牲になったとも言える。

日本人として日本に住んでいれば得られたはずのものを、彼らは日本にデカセギに来ても得られない。彼らの子が日本で生まれても日本国籍は得られないし、義務教育は課されない(受けることはできる)。定住化が進んでいるけれども、そうした日本で育った子供たちが日本人同様のものを得るというのは非常に難しい。

さて、現状の話。日系人というのは主に日本の工場、いわゆる3K(きつい、汚い、危険)職場で働く。車の部品も、携帯の部品も、コンビニの弁当も彼らがいなければできない。企業は彼らを直接雇わず請負業から「労働力」として派遣で受け入れる。

請負業というのは労働力の弁となる。足りなければ増やす、多ければ減らす。労働基準法や労働者の意思と関係なく。請負業は通訳から住居の用意、生活の面倒まで全て見る。日系人はパック旅行的に移民する。日本語がわからなくても困らない。

本当に不思議な問題です。なぜこういうことが起きるのか。日本という国が、外国人の受け入れということに対してどのように考えているのか。政策の抜け穴として、なぜか日本と地球の反対にあるブラジルが繋がってしまった。

まるで、「のび太の宇宙開拓史」だ。畳を開けたら別の星に繋がっていた。のび太の宇宙開拓史では最後にその扉は閉じてしまうのだが、この今の日本に開いた穴はどうなるのだろう。すでにブラジル文化を出自にした日系人が日本に定住する、という道筋はついてしまった。30万人のブラジル人がこれから日本で生活していくのだ。

国は全く何の政策も打っていないのだけれど、それで果たして全て丸く収まるのだろうか。一体どんな政策を用意しているのか。そして自分に何ができるのか。難しい問題だ。