自分の立場に対してわからなくなっている。エスタブリッシュとかセレブとか。就職氷河期とかニートとか。
自分が職場で困っている理由は、自分が自分の頭で考えてしまうからだ。いい悪いの問題というよりは。知っていることの弊害とか、何とか。それだけが問題ではなく、精神的虚弱さが問題の基礎になっている。
おとといぐらいのクローズアップ現代は、中国に行って中国人並みの給料で働き、正社員を目指す就職氷河期世代だった。僕らの世代にはそういった側面がある。同時期に民間に就職できた人は引く手あまたな状況であるという。思い起こせば当時の就職活動は軽業みたいに思えた。そんなわけで僕は簡単に落伍した後、精神的にも落伍者な気分を抱えることになる。
「正社員になれるなら」というのは少なからず僕の中にもあっただろう。どこでもいいと思ったはずが、就職してしまえばどこでもよくないと考えてしまうのだろうか。明らかに妥協の産物でもあった。今からでは挽回できないというのは、同世代でストレートに就職できた人間とラスト3年分の給料が違うということだろう。さらには子供の頃自分が想像していた「普通」よりも相当少ない給料のところに就職してしまった、ということもある。生涯給与は2000〜3000万円ぐらいは下がるだろうし、可能性だってほぼ狭まっている。
この先何年もずっと「自分が仕事において何をしたか」が見られない、評価されない時代が続くだろう。そんなことをしているうちに公務員として本当につぶしが利かなくなっていくだろう。周りとのギャップもどんどん深まるだろう。一体何のために小学校中学校と上位の成績を取って地元の進学校(地域性もあって公立だけど)に行ったのだろう。大学が二流なら関係ないのかね。
自己防衛でやることが全て逆効果になるのかも。日経新聞を読んでいることは、職場の話題で役に立たない(そもそも会話がないけれども)。WBSなどなぜ見ているのか。今になってまで苦手な英語を勉強しているのはどうしてなのか。自分の仕事に関わる法律を読むことがどうも仕事に悪影響を与えてる気さえする。
習慣の壁、とか。学校生活でテストの点を上げることに役立った習慣が、文脈が職場ではマイナスに作用する。僕は勉強しているつもりもなかったし、むしろ勉強をするやつはアホだと思っていたけれども、今になって思えば自分の習慣は確実に勉強向きだったのだ(つまり勉強していたのだ)。自分が(小中学校時代に)勉強ができたのは、そういう習慣を親がつけたからだ。もっと言えば環境だ。
就職氷河期に意に沿わぬ就職をした人達はどうなってしまったのだろう。苦労がないとは僕には思えない。ある種の公務員なんてのは勉強をした人達がなるようなものだったのだろうか。それこそ逆学歴詐称(学歴を低く見積もる)なんてのがあったということは、そこの職場に学歴が必要ないことを意味する。
しかしほんと僕の子供時代と今は何なのだろう。そして人間力の弱さと来たら。つまり、就職活動に落伍したことを引き摺るような話だけど。自分が人間的に劣っているなんてことを、何が悲しくて考えてしまうのだろう。いや、それを認めて這い上がれば。ちなみに精神的にちょっと危うしです。