「市役所を遊園地に!」でおなじみ当はてなダイアリーですけれども、世界的な流れとしては大きな政府(年貢が5割ぐらい取られるとか荘園の領主が酷いとか)から小さな政府だと思うわけです。で、果たしていつの段階でどのレベルの小さな政府が可能か、ってこと。
例えば甲斐の武田が小さな政府になってさあ、戦争はやめだ!みんなで田畑を耕そうぜ、ってなった瞬間に全方位*1から切り取られて結局また大きな政府に支配されたりするわけです。当時はあの大きさの政府が必要だった、と。何が必要悪かは今の視点では見えてこない。例えば徳川の時代になれば将軍家がなくなっても万々歳だったのか。実際に徳川崩壊前夜は薩長土肥または会津桑名や水戸が蠢いたわけですが、結局は国の単位がまだ藩単位だったんだよね。
さらに明治維新後は日清日露、進んでは第二次世界大戦。世界を舞台に戦争が起こる、と。
現在が集大成って見方に与するのも変だけど、もうこの先はないのかな、と。江戸の区切りでは世界は日本だけだった*2んですが、だからこその均衡だった、と。現在も地球という区切りで考えれば均衡保っていいじゃん、と。そのためには世界政府が必要?で、その世界政府の大きさはどれぐらいがいい?
今まで小さな政府に向かっているような気はするけれども、果たしてどこまでが可能かってのは難しい気がする。そのカギはやはり人の移動と情報の移動だろう。つまり、自らがどこまでを自分の住むべき範囲だと考えることができるかということかな。
で、今の状態がもっと小さな政府を要求できる段階だとして、どれだけのことができるだろう。例えば江戸時代の遠州*3住民投票で不要な藩という組織をなくしたとして、遠州藩は周りに比べて発展しただろうか。大きく分ければ無為無職の支配者階級の武士がいなくなれば生産性の向上に役立つ気もするけれども。そのモデルケースが大坂?大坂の税ってどんなもんだったのかね。
さて、旧藩の時代から比べて、人の出入りが藩内に制限されることがなくなったことのメリットはものすごいでしょう。国防に関しても藩対藩を考えないことはかなりのよいことです。小さな政府にはメリットがあるような気がしてきます。ついでに国防費が少ないのは北朝鮮を見るにつけいいことのような気がします。
というわけでここに至ってようやく市役所。実は市と市の間には見えないバリアーがあって、人の異動を拒んでいる。というと言いすぎだけれど、これは完全に国境と同じで、隣の市に住んでいるものに市が奉仕する筋合いはないし、実際そんなことしないのです。果たしてこれが効率的なことかどうか。
隣の市に住んでいる人は友達ではないですか?そんなことないっす。隣の市には遠くてとても行けませんか?ノーっす。隣の市には友達も住んでいるし、よく行くし、職場もある。で、僕らが納めた税金(ふるさと納税にしても)は市だけのために使われる。道路は市境まで、下水道も市境まで、ゴミ焼却も自分の市分だけ、等々。
市の境なんて普段生きてて気になります?これはもう市町村なんて狭すぎってことっすよ。「俺たちはこの市だけを良くしたいから。たまたまこの市の隅っこに工場が来てくれたから税金落としてくれるし、他の市は関係ないね。」まあ人はある意味で自分が大事な生き物でもあるし、得たものを失うことほど世の中でつらいことはありません。でも僕は卸の市は中抜きしてもいいと思う。あ、卸は県だ。

*1:上杉北条今川等

*2:超大雑把に言ってます

*3:んなのないけど