何年ぶりかというか、それより物心ついてから初めてぐらい久しぶりに映画見てきました。多分今思い出しても一番最近が中学校のときのドラえもんだろうと思う。
見終わった後にちょっとした違和感とか疑問符とかあって、いや面白かった、笑ったんだけどな、とネットで情報を漁っていたら賛否両論というか。結局色々な人が処理できていない感じがあった。実は新しくないかもしれないし、でも新しいかもしれない。既存の映画と違うというのなら、その違いかたはそんなにむちゃくちゃ違っているわけではないのだろうと思う。まあ僕映画見ないんですけども。
本人が言っていた「アートはもうよくて、とにかく笑えるのが一番だろ」みたいなこの映画に対する内容が頭に残っている。あとは「ジャンル分けも見た人にして欲しい」、というもの。とにかくこれを見た人が色々に感じてしまう。ものすごく斬新でも奇抜でもない。でも笑える。何が面白いかわからない。でも面白い。
僕自身は正直この映画についてはわからない。何がわからないかと言えば、世界観についていくのが遅れたからだ。かと言って難解でもない。ついていくのに遅れるのはパラレルワールドだからだ。例えば僕が英語ペラペラでアメリカに行っても、きっと世界観についていくのが遅れるだろう。それは簡単で当然の世界であったとしても。大日本人の世界観も、簡単で当然なんだろうと思う。
面白い、と言ってしまいたくても躊躇してしまう理由は、自分が笑ったところは何かの理由があるのだけれど、実は他のところにももっと笑いの理由があったのではないかというもの。もっと笑えたのかも、と。この映画は、なんというか製作者側からの笑いの箇所と、自分側からの笑いの箇所が、距離的には中間にあると思うのです。向こうが操作している部分とこっちが操作している部分。別に新しい発想とかではなくて、作り手はそこに物を置いた、受け手はそこに物を見た、というもの。
ちなみに僕自身は作り手に笑わそうという意図がなくても笑ってしまう。でもそこにコミュニケーションがあるのかというと違う気もする。何というかこの映画はそこの距離感が独特だった気がする。つまり、笑いの所有者が誰か、と。笑いの位置が作り手にあるのでも、受け手にあるのでも、このバランスは崩れる。その中間にあって必ずしも共有をしない、という感じがあるなあ、と。