「声」について考えた。苦情に代表されるような「声」というものは、実はそれ自体が行政にとってプラスの効果がある。例えば、行政の調査能力は実は貧弱である。それを補完するのは住民の「声」ってこともある。ただ、大きな「声」というものは、時に行政を歪める。ある集団の代表者が声高に叫ぶことで、その問題に対応するために行政が隠れて行うことがあるなら、全体の利益にはならない。
「声」という力を効率的に使うためには、①1人でも声を出せること、②たくさんの立場の違う人が声を出すこと、③過程が透明であること、等が必要だろうな。
これに似たことが「みんなの意見」は案外正しいに書いてあった気がする。同じことなのだよな。