最近「繰り返し」について考えている。(僕は昇給のある民間企業は繰り返しがないと信じている。)市場主義がわからないのは公務員だからなァとふと思った。自らの仕事が自らの給料を決めるどころか、民間に準じた上に国公準*1だし。遠回りなよくわからんもので決まる、という。
さらに、市場主義*2で言うなら僕らの給料は驚くほど高い。山形池田「生産性論争」にあったように、製造業が高い生産性を達成するからこそ僕らの給料も高くなるのだ。例えば製造業が僕らの100倍の生産性なら、僕らの中で50歩100歩の競争をしたところで相対的な差は同じだ。
繰り返しから抜けるためにはイノベーションをする仕事であることが必須だ。製造業なら発明などのイノベーションを製品としてコピーすることができる。公務員であってもイノベーションを起こすことは可能だろうけれども、それをコピーすることが難しい気もする。
そして僕らは結果的にあきれるほどの繰り返しをしている。宿命だとしても、幸福だと言っていいのか、悲劇だと言っていいのか。学校給食におけるパック牛乳は牛乳に対する議論と無関係に何十年とその座を安泰にしている。もし牛乳が体に悪い飲み物であるならば、繰り返しは悪いことにもなる。
繰り返しの一部にいる人は責任を取らない。取る時もあるだろうが、普段考えることは少ない。「前例」という免罪符を元に、過去を踏襲する。
繰り返しを抜けるには「らせん」という考え方もある。事実、市役所でさえある部分では変わっていっているところは確かにある。繰り返しと変化を積み重ねる。自らの成長に即しても、繰り返しの中で多少の前進を得ることもあろう。ただ、結果としての市政や先達を見るに、そのスピードに対しては疑念を持ってしまう。
大きく言えばやはり繰り返し。それも方向性を持っている人や職場は少ない。だいたい誰がその方向性に責任を持つのだ?トップか?ボトム(僕)か?
と、いうわけで異動の発表まであと2週間ほどだと思うんだけど、ほんと異動したい。基本的に全てが繰り返しならそのサイクルは短いほうがいい。あと1年同じ仕事やったら多分楽すぎる。脳が緩む。(と言いつつほんとにもう一年やることになったら覚悟決めてめちゃめちゃ変えてやる。ボトルネック野郎の異動は確実だからな。繰り返しだとこっちがおかしくなるっての。)

*1:地方公務員の給料が国家公務員の給料に準ずる、というもの

*2:この用語は適当に使ってます