ブログを書いているといかにも自分が何かを「発信」している気になるけれども、それではこの読者の少なさと、そして読者が少なくとも書き続けている僕は何なのだ。と思った時に、これ発信ではなく、共有だな、と。知識などが誰でも一般的に仕入れやすくなり、みんながみんな正しい知識を発信するなら、それはまた他人に影響を及ぼし、その知識を共有する一助になる。僕らは知識や情報を共有するために書いているのだ。
それがつまり享受。みんなが知っている知識を改めて僕が書くことでその知識を自分のものにする。例えばこういうことって「陳腐化する」ってことなのかもしれない。とびきりのアイデアがいつの間にか一般的なことになる。でもそれってアイデアをみんなが享受することだ。
それこそがみんなが発信する時代のメリットなのかなー。