さて、仕事始め。今年も楽しく仕事ができることは喜ばしいことです。
正月は3日に初詣に行きました。むしろ名物の団子を買いに行った、というほうが近い。これは遠州地方の人にはわかってもらえる風習だろう。あの団子です。
「初詣には東海一円から参拝者が訪れ、三が日で35万人の人出」、とインターネットに書いてあった。JR東海道線の最寄駅から徒歩約20分、ということらしいが、地元でもそんなこと誰も知らない。電車で来ようなんて考える人はいない。元日にその付近を通ったら駅のさらに向こうまで車が数珠繋ぎ。ギシギシいいそうなぐらい動いていなかった。まあそれは余話。
それぐらいの人出がある。そして彼らは一様に車を駐車場に止める。それが500円。僕と父で「ここは駐車場代をもっと高くできる」という話をする。これだけ車が混んでいるのだから、これは駐車場の代金が不当に安い、ということだろう。渋滞を解消するためにももっと駐車場代をとっていいと思う。渋滞の損失は一体いかばかりか。
しかしそれからあとは見事だった。神の見えざる手が働いていたかのように。参道は広く長い。そこをひしめきあって人々は登っていく。ここに一つのミソがある。道は一方通行なのだ。昔は道は一本だけだったらしいが、人が増えたので帰りのために別の道を作ったそうだ。
お賽銭というものにあまり興味はないが、端のほうから10円玉を投げ入れ、申し訳程度に手を合わす。そのあと順路通りに山を降りていくとほどなくちょっとした広場が現れる。右手に自動の券売機。植え込みの高いところからガードマンが語る「こちらの券売機で券をお買い求めになって、あちらの受渡し所でお受け取りください」。
自動券売機では種類ごと、個数ごと(通常、箱での販売になっている)の販売だ。僕はまだ覚えているが、子供の頃団子を買うのは一苦労だった。長い行列、待ち時間。父の時代には幾つも屋台があったのだそうだ。時代とともに変わるのはやはり数の力がすごいのだろう。
券売機に並ぶのも、受渡し所に並ぶのもほんの少しの時間だ。受渡し所では袋に箱が1つのもの、2つのもの・・・、と分けられている。袋を箱に詰めるには割と時間がかかってしまうものなのだ。団子を作ること、代金をもらうこと、袋に詰めること、等々を切り離すことによって相当な時間の短縮になる。
この3日間が全てなのだ。35万人が3日で団子屋の前を通り抜ける。この力がお寺であろうともすごい力で変える。
まさにこれはオフショアとか外部委託とかそういうことですよ。時代とともにある。グローバルな方法だ。
これを見ていて、僕はこれこそ経営だと思った。数の力がこれを作ったにしろ、誰かが「経営努力」をしたのだ。例えば割拠する団子屋を一つにするには多大な力が必要だったろう。誰かがやったのだ。
市役所に必要なのは経営だ、と思った。はっきり言って市役所というくくりはあるが、やっていることはそこかしこの部署でバラバラのことだ。各団子屋が味や特色を競っているのと近いかもしれない。
各部署に共通のことはあるか。あるならそれを一つにすることはできるのか。また、業務を細かく分けて分類することはできるか、外部委託できるか、自動化できるか。こういうことはメニュー(内容)のことではなくて、経営のことでしょう。
そして市長は政策を言っても経営は言わない。つまり、市役所には経営者はいない。そうか、それならば昨今話題の副市長に経営者を連れてきて経営させればいいんだ!とか。
刺激になりました。